第1章 じめじめ
昔から風邪のときは鼻が鋭くなる気がする。冷えピタと熱と雨の匂いから、彼の残り香を探す。
シャンプーやトリートメントなのか、洗剤や柔軟剤なのか、はたまた彼自身のものなのか。分からないけれど、落ち着く匂いだと思った。
ぼんやりしているうちに彼はコップに注いだ麦茶を持って戻ってきた。飲みやすいようにストローを挿してくれている何気ない優しさに泣きたくなった。
覚えていないけれど、実家でも麦茶を飲んでいた気がする。ストローを吸いながら、カラカラだった喉を潤しながら、食道を流れ落ちるところを想像した。
「食べられそうなら、あとで何か作るけど、食欲はあるか?」
「……うん、大丈夫」
YESともNOともつかない私の返事に彼は苦笑する。
「じゃあ、残してもいいから卵雑炊でも作ろう。この前作ったとき、きみ、気に入っていただろう?」
そうだったっけ。何もかもが曖昧だ。卵雑炊の味はよく覚えていなかったけれど、私はその言葉に従うことにして、頷いた。
頷いた私を見ると彼は安心したようににかっと笑う。
何もかもよく覚えていないけれど、彼が笑ってくれるなら、それで正解なのだと思えた。
安心して、再び目を閉じかけたとき、ふと思い出したように、彼が声を落とす。
「………ああ、それから」
先ほどまでの柔らかさとは少し違う、慎重な声音だった。
「約束、忘れてないよな?」