第4章 ぐらぐら
外の世界は真夜中だった。
定時を目前にして舞い込んだ緊急インシデント。夕方以降はその対応に追われ、時計を見る余裕すらなかった。
建物を出た瞬間、蒸し暑い空気が肌にベトベトと張り付いた。温暖化の進んだ日本では、夏と冬が、春や秋を浸食しているというのに梅雨の過ごしにくさだけは変わらない。むしろ、梅雨という季節は、夏の暑さの威を借りてより日本人の体力をじわじわと削り取るようだ。(鶴丸は人ではないが…)
肩をすくめながら、彼は無意識に息を吐いた。馴染みの警備員に挨拶をして、官庁が建て並ぶ大通りを抜けると、今日もようやく仕事から開放されたという実感が湧いてくる。
政府での仕事を終えて、あの場所へ戻ることを、「帰宅」と称していいのか、少し迷う。
鶴丸には、胸を張って「家」と言える場所がない。
書類上の住所として、政府職員向けの寮はある。だが、そこへ最後に足を運んだのがいつだったかは思い出せない。
コンクリート造りの無機質な一人部屋。
あの部屋に入るたび、脳裏には、いつかの暗く、湿った墓穴の感触が蘇る。冷たい土の匂いまで、ありありと。
泊まり込みの多い部署だから、と理由をつけて。気付けば、与えられた寮の部屋を意識的に避けるようになっていた。
少なくとも、鶴丸にとって、あそこは「帰る」べき場所ではないのだ。
じゃあ、家とはなんだろう。自分はどこに帰るというのだろう。
家とは、一定期間、腰を落ち着けて暮らす場所。
そう定義するなら、政府に来る前、ずっと昔に所属していたかつての本丸は、間違いなく鶴丸の家だった。
仲間がいて、日常があって。
何も考えずに、ただ「帰る」ことができた場所。
…それなら、今向かっている場所は、どうなんだ。
政府が用意した、セーフティハウス。
記憶を失った審神者を一時的に監視して収容するための施設。
彼女にとっては檻付きの牢と何ら変わりないあの場所を、家と呼ぶのはあまりにも皮肉が過ぎる。そう、分かってはいるのだが。
鍵を回し、扉を開けた先に灯りがある。自分の帰りを待つ気配が、そこにある。
(……第二の家、なんて。少し感傷的すぎるだろう)
少し歩調を緩めて、鶴丸は声に出さず一人呟いた。
肺に取り込んだ空気は重く湿っていた。今日は雨は降っていなかったはずなのに。