第5章 まだ言葉にしない夏
少しして。
白井が、ふっと息を吐いた。
「……ねえ」
「ん?」
「……聞いてくれてるの、
分かってる」
心操は、視線を上げない。
「聞いてるだけだ」
「……それが」
白井は、言葉を探す。
「……楽」
短い言葉。
でも、
嘘はない。
心操は、一瞬だけ手を止めた。
「……なら、よかった」
それ以上は、言わない。
“話させよう”とは、しない。
“引き出そう”とも、思っていない。
——待つ。
それが、
彼の選んだやり方だ。
⸻
課題が、ひと段落する。
時計を見ると、
思ったより時間が経っていた。
「……今日は、ここまでにしよっか」
「そうだな」
ノートを閉じる。
立ち上がるとき、
ほんの一瞬、
白井が言いかけて、やめた。
「……」
心操は、気づく。
でも、促さない。
「……また、続きやろう」
それだけ言う。
「……うん」
返事は、少しだけ柔らかい。
⸻
部屋へ戻る廊下。
別れる前、
心操は立ち止まった。
「……白井」
「なに?」
「話したくなったら」
一拍。
「時間、空ける」
それは、
約束でも、
要求でもない。
ただの、
覚悟の提示。
白井は、少し驚いた顔をしてから、
ゆっくり頷いた。
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
二人は、それぞれの部屋へ向かう。
何も起きていない。
でも。
確実に、
“話す日”へ近づいている。
静かな夜を重ねながら、
感情を言葉へと変えていく。