第5章 近づく距離
ユキノはイザベルの腰を軽く支え、馬の動きに合わせてタイミングを教える。
イザベルが鞍に跨がった瞬間、ルナは微動だにせず、じっと待っていた。
「わあっ……! 高い! でも、なんか……気持ちいい!」
イザベルが興奮気味に叫ぶ。
ユキノは下から笑顔で見上げた。
「そうだよ。馬に乗ると、世界が少し広くなる気がするよね」
その時、馬舎の入り口の影に、リヴァイが立っていた。誰にも気づかれないように、ただ見ているだけ。
ユキノの教え方は、決して急かさない。
イザベルのペースに合わせて、褒めて、励まして、少しずつ進めていく。
地下街育ちの少女が、初めての恐怖を乗り越える瞬間を、優しく支えている。
最初はぎこちなかったが、ユキノが横を歩きながら「いいよ、その調子!」と声をかけると、だんだん笑顔になっていく。
「ユキノお姉さん! 見て見て! 私、動かせてるよ!」
「すごい! イザベルちゃん、センスあるよ!」
二人の笑い声が、馬舎に柔らかく響いた。
リヴァイは、無言でその光景を見つめていた。
(……あいつ、教えるのも上手いのか)
胸の奥で、いつもの苛立ちが湧くはずだった。
だが、今日は少し違う。
イザベルがこんなに楽しそうに笑っている姿を、地下街では一度も見たことがなかった。
それを作り出しているのが、ユキノだった。
(壁育ちのガキが……イザベルを、あんな顔にさせやがって)
苛立ちは、まだある。
でも、その奥に――ほんの少しだけ、感謝に似た感情が混じっていた。
ユキノはイザベルを降ろした後、ルナの首を撫でながら言った。
「今日はここまで。急にたくさんやると馬も疲れちゃうから。また明日、一緒に練習しようね」
イザベルは目を輝かせて、何度も頷いた。
「うん! ユキノお姉さん、ありがとう! ほんとに楽しかった!」
ユキノは優しく笑って、イザベルの頭を軽く撫でた。
その仕草が、またリヴァイの胸を小さく揺らした。
リヴァイは静かに踵を返した。
明日も、きっとここに来るだろう。
「馬術を教わりに」ではなく、
ただ、イザベルが笑う姿と、
ユキノの優しい横顔を、もう一度見に――。
地下街の狼は、まだそれを認めたくない。
ただ、足は自然と、明日も馬舎に向かうだろう。