第3章 小枯
鬼鮫の腕から小枯が無頓着にするっと抜け出した。
誰かに触れていた感覚も何も覚えていないような全く無作為な様子がちらと気に障ったが、まあいい。この女に腹を立てても仕方がない。後で話を聞き出すことを考えれば必要以上に委縮されてしまっても困る。
指の間を柔らかな布が小枯と一緒に滑り抜けて行く。
風に晒されて冷たい布の感触が馬鹿に背中をざわつかせて、鬼鮫は大枯と話す小枯の後ろ姿に目を走らせた。
括り髪の先が腰まで伸びて揺れている。狩りどころか日常的に邪魔そうだがどうしているのだろう。
傍らの大枯は穂先に蔓を叩いて鞣したものを編んだ槍鞘を被せた槍を肩に担いでいる。槍鞘が柄の両端にあるのが物珍しいが、三山家は狩りにこういう得物を使うのだろう。
ふたりとも骨格の整った締まった身体をしている。仕事柄自然と鍛えられるのだろうが、立ち姿が見苦しくなく、むくつけな感じがない。山の民など粗暴な鄙者と思い侮っていた鬼鮫は、ふっと笑って外套の袖に手を潜らせた。
小春日和の陽が傾き始めた。
空気の冷たさが一段上がる。
「目的の五ン合まではまだかかる」
不意に大枯が鬼鮫へ振り向いた。
「今日はこの先の野小屋に泊まります。随分不自由をかけることになるかと思いますがかまいませんかね?」
慇懃無礼とも違う、ごく普通の人当たりの良さのまま聞かれて鬼鮫は鼻を鳴らした。何と在り来りな心配り。そんなものが私に要るとでも?いっそ声を上げて笑い出したくなる。
この連中は暁を知らないらしい。
そして鬼鮫がどういう人間なのか知らない。
「構いませんよ」
鬼鮫は大枯と、その隣でまた眉間に皺して眉を下げる小枯を見返して素っ気なく返した。
鬼鮫もまたこの連中を知らない。
思いがけずあっさりと同道を許した腹の底も見えていない。
体が冷えてきたのか、小枯が懐から手甲を出してつけ始めた。七分の袖丈から覗いていた細く筋肉質の肘や手首が榛摺の手甲の下に隠れる。
「…猟の時に使うものですけど、防寒にもなるので」
鬼鮫の視線に気付いた小枯が、渋々といった様子で口を開いた。大枯に向ける口調とは、調子も声の温度もまるで違う。余所者への社交辞令が見え見えだ。眉根の皺も消えていない。
この女、先刻支えてやったことを全く感謝していないようだ。
むしろ迷惑だったか?面白い。いいだろう。
