第5章 猪狩り
前方の斜面の奥で鳥が飛び立った。
次いで呼子笛の甲高い音が短く三度。
「上か」
大枯の顔が曇る。
「不都合でも?」
「下へ猪を誘い込むのは難しい。下りは猪の足が速くなる。逆に人は上るより下る方が足に負担がかかる」
大枯は動かない。
今の呼子笛は獲物を見つけた報せ、まだ動く段階ではないのだろう。
また鳥が飛び立つ。先刻より右寄り、泥場の方向へ移動している。猪を誘き寄せて小枯が走っているだろう辺りを見、大枯が眉根を寄せた。
「…泥場…」
大枯は事前の打ち合わせで大枯は泥場を避ける方向で話を進めていた。足場が悪ければ猪の動きは鈍るが、それは人も同様。危険が増す。
なのに泥場へ向かっているのなら、そうせざるを得ない状況にあるということだ。
雨が心持ち勢いを増す。
呼子笛が鳴った。
ピューイと長く一度、次いで短く一度。小枯の息が上がっているのか、笛の音に震えが混じっている。
大枯が走り出した。鬼鮫は即座にそれを追う。
「どうしました?」
「邪魔が入った。あんたはここに居てくれ」
そういう報せか、あの笛は。
鬼鮫は口角を上げた。
面白い。その”邪魔”を見せて貰おうじゃないか。
「いいえ。私も行きますよ。お構いなく」
「……」
大枯は応えない。
その後ろ姿に滲む怒りは恐らく鬼鮫ではなく、狩りを邪魔する何かに向いている。
泥場に近付くにつれ、様々な音が聞こえてきた。湿った泥が絡みつく音、下生えを踏む荒らす忙しく荒々しい音。
大きな獣の息遣いが聞こえる。
そして人声が幾足りか。
不意に視界が拓けて泥場に出た。
最初に小枯の紅い括り紐が目に飛び込んできた。枯れ朽ちた草木に囲まれた泥場の中の紅色の、その鮮烈さに鬼鮫は息を飲んだ。
何かあったときに、見つけ易いように。
ふざけるな。
泥場の斜面の上にいる。その前に大きな猪。
馬鹿に大きい。昨日の熊よりまだ大きいのではないか。
毛を逆立ててひっきりなしに足元の泥を掻き立てている。時折、シューっと威嚇音を上げて頭を振り立てる。
完全に興奮状態だ。
後ろ足の一本に縄がかかって、その先を見慣れない男ふたりが握っている。他にも男がもうひとり、ふたりから少し離れたとこれで構えているが、正面で猪の威嚇をうけているのは小枯だった。