第2章 葉簪
「そして本当に知らないから言えないんですよ。初枯の出奔は急でした。誰にも何も告げずにいきなり里から消えてしまった」
大枯は穏やかに言って鬼鮫から目を逸らし、表を眺めて眩しげな顔をした。
2人が囲炉裏を挟んで向き合う座敷から見える遠景は、遠く近く山々の連なりを描いて晩秋の鋭い空の蒼の中、一幅の画のように美しい。
「初枯れは山を下りて違う暮らしをしたがっていた。だから里を抜けたのだと思います」
鬼鮫に視線を戻して、大枯は炉辺に置いた湯呑みを手に取った。
「本当にそれが理由と思うんですか?」
馬鹿な。忍びでもない人間がビンゴブックに載って人里で隠れ住める訳がない。ビンゴブッカーを追うのは大概が玄人筋の賞金稼ぎか依頼を受けた忍びだ。たかだか山の猟師が逃げ切れるものではない。
「違いますか?」
のんびり聞き返す大枯に鬼鮫は苛立ちを覚えた。が、それを呑んで大枯から目線を外した。
大枯と同じく山の遠景を眺めながら、間を置いて口を開く。
「大枯さんがビンゴブックに載って、里は大騒ぎになりませんでしたか」
葉擦れが鳴る。座敷に木枯らしが吹きつけて来た。この寒いのに何故障子を開け放つのか。歓迎していないという意思表示か。
「それはなりましたよ。何しろここは見ての通り、鄙びたところですからちょっとのことでもすぐ騒ぎになる」
大枯の返しにまた苛立ちが湧く。
「ビンゴブックに載るのがちょっとのこと?大した里ですねえ、三山家は。犯罪が些少な里じゃさぞ暮らし辛いでしょう」
刺してやったつもりが、大枯は笑った。
「猟区を侵すうっかり者は少なくないんですよ。償わないで逃げれば大金がかかることはなくてもビンゴブックには載る。大首を狙う者には目にも入らない小首ならうちの里にも少しはあります」
大枯の落ちついた態度が、呑気そうな様子が気に障る。
苛立ちが膨れて鬼鮫は鮫肌に手を伸ばしかけた。
「大枯。居るか?」
不意に訪いを告げる声がして、鬼鮫は鮫肌に伸ばしかけた手を軽く握った。
「五ン合の集落の大猪、あら80貫はあるらしいがいけるか」
鬼鮫と大枯の眺める遠景側、その縁側にヒョイと腰掛けた括り髪、細身で朽葉色の後ろ姿に鬼鮫は顔を顰めた。
「行く。行くのでなけりゃお前を呼ばんよ、小枯」
「まあそりゃそうだが。全く初枯の奴、馬鹿な真似をしてよ」