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弥栄

第10章 参の社



汚れを知らない。穢れを知らない。正しさを知っている。

小枯は南天の手を放して目を伏せた。
湯気が疎ましく身を包む。未だ削れた体からは汗ひとつ垂れない。

「何か辛い事でも?何かあったらいつでも相談に来てといつも言っているのに。あなたは何でも我慢してしまう。そんなことでは駄目なの」

小枯は生唾を飲んだ。
飲み込んだ唾が乾いた喉を通りきらず、痛む。

「あなたのお陰で熱病から救われた人が沢山いる。霜降のお父様と妹さんもそうでしょう?あなたが道を拓いて助けた村は本当に危ないところだった。時雨で水路を閉じた辺りには初音のおうちがあるの。初音は今でもあなたに凄く感謝してる。日照りの時、あなたが舞った後雨が降って、里の皆がどれだけ喜んだことか」

身体が痺れたようになって、口をきくことも適わなくなってきた。

「皆あなたを必要としてる。自分を大事にしなくては駄目」

視界が一段暗くなった。

何てことだ。

まさかこれほど、里を出ることに罪悪感を感じているとは思わなかった。
自分がわからなくなって小枯は浅く息を吸い込んだ。

「…具合が悪いの?無理をさせたかしら。もう上がりましょう」

南天が気遣わしげにそっと小枯の背中に手をのせた。

その感触が何かを思い出させた。思い出しかけた。

もっともっと優しい感触。

大切なものを扱うように触れられたときの驚き。安堵。喜びと確かさ。

それが何なのか、ばらつく思考を探って確信しようとした刹那、南天が小枯の頬に手をあてる。

「身体が冷たい。いけないわ。小枯。立てる?」

頬に触れた滑らかな南天の掌が、何かを上書きしてしまったように感じた。

思い出しかけた大切なものが滑り落ちていく。

手が、ぴくりと動いて脱力した。

落としてはいけないものを掴みたいのに動けない。

皆が困る。

里人の顔が様々に浮かんだ。皆笑っている。気遣わしげだ。優しい。
まだ、飢えてはいない。困ってもいない。

私がいなくても何とかはなる。

いなくて困る者など本当はいない。

けれど。

ただ誰かが必要としているから、必要とされているから、いてもいいのだ。

私はそうして生きてきた。

南天にこう言わせるほど当たり前に。

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