第3章 小枯
「…凍み鎌というのは何です?」
葱を2本持って立ち上がった小枯に、鬼鮫が尋ねた。
「霜鎌というのも」
小枯は土の着いた手で額を拭った。
額に泥がつく。当たり前だ。しかし本人はてんで無頓着に歩き出した。
「凍み鎌も霜鎌も猟をする組の名前です」
冷たい土を掻いてかじかんだのか、小枯が手に息を吹きかけた。白い息が山の夜気の中に立ち昇って消えて行く。
「大枯と初枯と私は凍み鎌。秋から春先にかけて大物狩りをし、猟場を仕切るのが仕事です」
「ほう?山の中でそれを担うというのは特別な仕事のように思いますがそれで合ってますかね?」
「特別なことはないですよ。…別に」
言い淀む小枯を見下ろし、鬼鮫はふと萌した疑問をそのまま口にした。
「あなた、名前は何というんですか」
小枯が振り向いて瞬きした。
「小枯ですが」
「本当の名前を聞いてるんですよ」
「…は…?」
心底驚いた顔。
切れ長の目が大きく見開かれ、眉間の皺も消えた。目の中にずっと居座っていた壁すら失せている。
どれだけ嫌な顔をするかと思ったが予測は外れた。心底呆気にとられているようで、逆に子供のような無垢な顔になってしまっている。
ほう。言ってるだけじゃなさそうですね。 少なくともこの人は本気で姓名を魂に準ずるものと思っている。
面白い。
鬼鮫は黙って小枯を見下ろし続けた。
口を薄く開けて、何か言いかけて止める。また何か言おうと鬼鮫の目を見て口を動かそうとするが、上手く言葉が出て来ないようで何も言えない。
何か知らん、鬼鮫の何処かしらがむず痒いような不思議な感覚を訴えて来た。
今頭を抑えつけ、その口を吸ってやればこの女はどうするだろう。
正気にかえって殴りつけて来るか、それとも更に驚いて完全にスイッチが切れるのか、まさかに泣き出しはしないように思うが、さてどうなる?
思わず一歩、足が出た。
小枯は後退りさえしない。ただじっと鬼鮫を見ている。
何だこれは。
たまらない。
もう一歩前へ、小枯のすぐ目の前に立つ。
「…そう言えばあなたに名乗っていませんでしたね?」
そうだ。この女にまだ名乗っていなかった。この女は鬼鮫の名も知らぬまま、何食わぬ顔でここまで同道して来たのだ。ふらついて転びかけたところを支えてやってもなお、鬼鮫を名無しのまま扱った。
小面憎い。
憤ろしい。