第9章 霜刃
「兎に角。行って帰るのまじないは私には要らないんだ」
霜刃が滑り落とした髪をいじって、小枯が全く他意の様子で言う。霜刃はまだ小枯の髪の感触の残る手を握り締め、開いて静かに答えた。
「俺に要るのだ」
「私はお前の為に里に戻らない」
小枯が気になって仕方ないように括り髪を引っ張ってその根元を見ようとしながら、あっさり言った。
「いや、誰の為にも戻らないよ。私はもうずっと前から決めていたことを今やっているんだ。自分の為に。だからもう、前みたように人の為にはなれないし、ならない」
小枯には見えない括り紐の赤が鮮やかに眩しい。
括り紐を見るのを諦めた小枯が霜刃に向き直った。霜刃は小枯の視線を正面から受けて、眩しげに目を細める。
朝日が差して来た。
小枯の姿がいやにはっきり、隅々まではっきり見える。
「霜刃、お前はおかしなことばかり言う奴だが、でもそのおかしな話を聞いているうち、何だか許されているような気になって救われたことが何度もある。だから礼を言って行くよ。ありがとう」
小枯が笑う。
世界が眩しくぼやけた。朝の日差しが目に差したからか、目眩でも起こしたものか、それともー涙が滲んだせいか。
霜刃は小枯から目を逸らさず、深く息を吸い込んで静かに頷いた。
「お前のしてきたことを引き継ぎ、お前が里にいた証を守ろう。その括り紐は、お前が里に居た証しでもある。何処へ行こうと息災であれ。ー本当に身体を厭ってくれ。俺はお前を、いつも見ている」