第9章 霜刃
「わかった」
懐から取り出された赤い括り紐が小枯の手から霜刃の手に渡される。渡す瞬間手と手が触れて、霜刃が僅かに表情を動かした。
痛いような、耐えるような。
小枯は見咎めて霜刃の顔を下から掬い上げるように見上げた。
「どうした?」
それを見下ろして霜刃は小枯の後ろを指差した。
「後ろを向け」
「何で?」
「いいから向け」
「だから何で?訳が分からないことをさせるな」
「向け」
「何だよ、一体」
言い出したら引かない霜刃を知っている小枯は渋々霜刃に背を向けた。
黒く長い括り髪がするりと揺れて背中に収まる。それを見つめて霜刃はまた表情を動かした。
痛いように、耐えるように。
山の端から陽が昇りだし、空が青く透き通り出す。
霜刃は手を伸ばして小枯の髪に触れた。
もし小枯が狩りなど始めず、巫女を続けていたらどうなったろう。
そうであれば、霜刃も狩りは始めなかった。
「何をしてる?もういいか?」
小枯の声を聞きながら、霜刃は括り髪を持ち上げてその根元に、赤い括り紐を結び付けた。
黒い髪に、赤い紐が映える。
小枯が狩りに行っていようがいまいが、いつも山中で目で探し続けて来た小枯の目印。
「お前に譲る」
「え?」
振り向いた小枯の不思議そうな顔が無防備で、霜刃は笑った。
「お前に譲る」
「?返すってことか?何だ、何がしたいんだ?どうした、霜刃」
「返すのではない。俺からお前へ贈る」
「まじないか何かか?」
「ふ」
ああ、小枯だ。小枯が確かにここに居る。
霜刃は括り髪を名残惜しげに手から滑り落とした。
靭やかな手触りが指の間を縫ってすり抜けていく。
「そうだ。まじないだ。何処へ行ってもお前が迷わぬように」
懐手で腕を組み、霜刃は空を見上げた。冬の明け時の空が清々と視界いっぱいに広がる。
「経巡からお前の居場所が消えぬように」
「出ていくからには居場所は要らんよ。それより鎌を守ってくれ。これからはお前たちが、本当に経巡を回していくのだから。私が、私たちがしてきたことを繋いで消さないでおくれよ。山歩きが嫌いで狩りも好かない霜刃。ふ。お前、つくづく変わった奴だよな」
柔らかく笑いながら小枯は霜刃を見た。
「………」
霜刃は口を噤んで小枯を見返す。
小さな頃から変わらない、優しく柔らかな笑み。愛おしい温かみ。