第9章 霜刃
「そうか。わかった。まとめ払いだ」
小枯は可笑しそうに笑って寄り掛からせていた体を起こし、鬼鮫の胸をぽんと叩いた。
「払う段になってえらいことにならないようにしないとな」
「私はそれで一向に構いませんよ」
「やだよ」
真顔で言う鬼鮫に笑いかけ、小枯が立ち上がる。
「表の井戸で顔を洗ってくる。…これ、ありがとうな」
外套を鬼鮫に丁寧に着せかけ、小枯は表に出た。
冷えた空に明けの星が瞬いている。天候は崩れなさそうだ。
ほっと息を吐いて井戸に向かった小枯は、井戸に腰かけ空を見上げる霜刃に気付いた。
「早いな。おはよう」
小枯は昨日、自分が寝ている間に起きたことを知らない。
霜刃が霜を抜けると言ったことも、参の社での役目を終えたら企みから抜けると言ったことも。
だから、ただいつものように挨拶して何心なく井戸へ、霜刃の傍へ歩み寄った。
「ちゃんと寝たか?今日はお前の嫌いな山歩きをする。寝不足でふらついてたら話にならないぞ」
霜刃は黙って小枯を見上げ、すっと立ち上がって場所を空けた。
「お前は鎌なんだからな。いつまでも山歩きが嫌いだとか言ってちゃ困る」
言いながら井戸に釣瓶を落とした小枯を退け、代わりに重い釣瓶を引き上げながら霜刃は無言だ。無言だが、口元に僅かな笑みが浮かんでいる。
「ありがとう」
汲み上げた水を受け取って礼を言う小枯を、霜刃はじっと見下ろした。
髪を払い、顔を洗う小枯をただじっと見ながら霜刃は瞬きし、ぎゅっと目を閉じた。
顔を拭こうと懐に手を差し入れかけた小枯に手拭いを差し出す。
「自分のがあるからいい」
断る小枯に手拭いを押し付け、受け取らせると霜刃は懐手に腕を組んだ。
山の稜線が明るんできた。
間もなく出立ちだ。
「狩りのとき使う括り紐」
ふと霜刃が口を開いた。
「括り紐?」
顔を拭き終えた小枯が、手拭いを返しながら訝る。
「あの赤いやつか?あるけどそれがどうした?」
「俺に譲れ」
「…まさかお前がつけるのか?如何におかしなお前とはいえ流石にそれは止めておけ。全く似合わないぞ。人のことは言えないが」
不思議そうな小枯に霜刃は首を振った。
「もう要らんだろう」
「…いや…。うん。要らないな」
「なら譲れ」