第9章 霜刃
「もしかしても何も浸けるだけで出来るんだから造作もないことだろ。…本当は蒸して精製した方がいい香油になるんだけど、なかなか作る暇がない」
欠伸しながら答える小枯のまだ湿った髪に塗ると、香油の香りが変わった気がした。柔らかい香りに。
丁寧に髪の先まで香油を塗った後、鬼鮫は立ち上がって小枯の隣に座り直した。
鬼鮫が隣に座ったことで小枯が微かに身動ぎした。ほんの僅かな動きでも、塗りたての香油が香り立つ。
「…私が怖いですか」
鬼鮫の言葉に小枯は目を瞬かせた。
「何で?そうは思わないけれど、何だ?そうだとすれば何を怖がればいい?」
小枯の答えに鬼鮫は笑った。
「あなたは変な人ですねえ」
「あんただって大概変だぞ。それならわかる。あんたは怖いというより、変わってる」
「私の怖さはこれから知れて行くでしょう。あなたは私に怯えるようになるかも知れない」
「そうか。先のことはわからないから必ずしもないとは言えないものな。もしそうなるならそれは興味深いことだ」
真顔の小枯は腕組みして首を傾げた。
「だって今全然ないものがあるようになるんだろ。そのとき私がどうなるのか、見当もつかない」
そうか。今全然ないのか。
鬼鮫は上がり框の淵に置かれた小枯の手に自分の手を重ねた。
「先のことはどうなるか、確かにわかりません。あなたはそのままかも知れないし、変わるかも知れない」
いや。変わるべきなのだ。だがそれが、どういう変化なのかがわからないことに鬼鮫は焦れる。
「それは鬼鮫だってそうだろ。お互い様だ」
ひとつ確かなのはこの手を握り続けることを、あきらめる気はないということ。
鬼鮫は小枯の手を握り締めて口辺を上げた。
「そう、お互い様です」
もし小枯が鬼鮫から距離をとるような変わり方をしたら、自分は何をするかわからない。だがそれを止めることも叶わない。よしんば体を縛り付けることが出来ても、人の心の在り様まで縛り付けることは出来ないからだ。
そのとき自分はどうするのか。
「どう変わるかなんてわからない。けれど小枯。よく覚えておきなさい。あなたは私のものです」
「そうなのか。ならあんたも私のものだな?」
小枯が鬼鮫の顔を覗き込んで笑った。間口の広い優しい笑み。柔らかな受け入れの目色。