第7章 芦原の些細な気づき
その夜、塔矢名人宅での研究会後、緒方はタバコに火を着けて佇む。頭の中で先ほどの盤面を整理して、次の対局へ向けての闘志を燃やしている。先生のことは尊敬しているが、オレだってタイトルを狙う棋士。先生を倒して、タイトルホルダーとして囲碁界の新しい波を迎えるのだと、決意を固めている。
そんな緒方の隣に芦原が座り、神妙な顔で口を開く。
「緒方さん、星歌ちゃん、オレにはあんまり笑ってくれないんです。何がいけないんでしょう?」
その言葉に、夕方のカフェでの星歌の笑みが頭をよぎり、緒方は一瞬ドキリとするが、平静を装って答える。
「お前は押しが強すぎるんじゃないか?志水くん、ああいうノリ苦手だろ。もっと普通に話せ。いきなり絡みすぎて、たぶん引かれてるぞ」
「そうなんですか?高校生だから軽いノリがいいかなって思ってましたけど、確かに星歌ちゃんは海王の優等生ですもんね。わかりました、少しずつ頑張ります!」
緒方にとっては芦原へのアドバイスというより、彼女を不快にさせないための言葉だった。だが、その言葉で芦原がやる気を出して、緒方の胸中には複雑な思いが広がっていた。
「オレ、しばらく彼女いなくて恋愛の仕方忘れかけてましたけど、さすが緒方さんは違うな〜」
「どういう意味だよ?」
「緒方さん、彼女の1人や2人いるでしょ?」
ニヤリとした芦原の言葉に対して、緒方の頭の中には1人の女性の顔が浮かぶ。アイツは…定期的に会うが恋人とは違う…。性欲の解消と暇つぶしを兼ねる、それだけの女だと彼女に対して緒方は思う。緒方はそれを弟弟子には悟られないよう慎重に言葉を発する。
「彼女なんていねえよ。恋愛より碁の方がオモシロイ。碁よりオモシロイものなんてないからな」
緒方の心には星歌の笑顔が浮かぶ。あんなピュアな子に似つかわしくないのは芦原じゃなくてオレの方だ…。そんな思いが湧き上がっていた。