第2章 はじまり
ドリンクが無くなる頃、車が止まったのは、川沿いの低層マンションの駐車場。
乗り降りしづらい車体の低い車の重い扉を力を込めて押そうとすると、先に降りた彼が外から開き、ほれ、と手を差し出した。
「舞踏場(ダンスホール)に到着ぜよ」
「ずいぶんと天井の低いダンスホールね」
ワインレッドのワンピースにはお似合いかもしれない、と空のカップ二つを手に取る。
「這い踊るには十分な高さじゃ」
嫌味にも取れる言葉に、猫背気味に歩く彼は、取り上げたカップを外のゴミ箱に捨てた。
オートロックも無い1階の一室を、車のキーとともに付けられた鍵で解錠すると、開いた扉を体で押さえ、恭しく手を中へと向けた。
「どうぞ、プリンセス」
「プリンセスなんてガラじゃない」
「では、ミセス」
「未婚よ」
扉を閉めた彼と並び立つのも少々困難な狭い三和土。
パチ、とつけられた明かりが思いのほか柔らかく、暗闇に慣れた目に優しい。
彼が脱ぎ捨てた踵が潰れた革靴と自身のヒールを揃えて向き直る。
「っきゃ」
「律儀じゃのぉ」
小上がりの無い玄関ドアのサムターンを90°回して、ドアガードを掛けたマサ。
「さすがにまいたようじゃな」
マグネットフックにかかった小さな暖簾を捲り、ドアスコープを覗く彼。
上がんなっせ、と手を引かれて入ったワンルームの部屋には、キッチンと小さな冷蔵庫の向かいにユニットバスらしき扉。
奥のローベッドの脇に梯子が掛けられており、ロフトがあることが見受けられる。
ほとんどモノが無い部屋で目立つのは、水音を立てるアクアリウム。
「綺麗にしてるのね」
「寝るための部屋じゃき」
「『寝る』ってそういう?」
笑う口元に煙草を咥えてキッチンに行くと、物の無い作業台に小皿を出して、換気扇を回しながら煙草を吸い続ける。
沈黙の中で、ヴーン、となった振動音に、二人して互いの携帯を見た。
自分の携帯をキッチンカウンターに放ったマサは、おまんのじゃな、とピタリと背後に立った。
「『ケータ』」
彼が読み上げた名前からの着信。
拒否、の赤いボタンを押したが、またすぐに震え出す。
「着拒していいかな」
ため息をつくと、貸んしゃい、と手から離れる携帯。
ちょっと、と止める暇もなく、マサは携帯の振動を止めた。