第8章 彼が彼氏で、貴方は誰がし?
「繭結っ!」
きっちり定時に上がって社屋を出た所で呼ばれて顔を上げると、見慣れたスポーツカーの前でこちらに手を振るのは今朝の好青年。
「お疲れ様っ」
小首を傾げて微笑む彼に歩み寄る足がピタ、と止まった。
「っ誰っ!?」
「え?」
丸い目を、じぃっ、と見つめる。
「俺ぜよ?」
「っ雅治さんじゃないっ
どちら様ですかっ!?」
顔も、声も、背格好も、着ている服も。
全て今朝の彼と一寸も違わない。
(でも、違うっ!何が違う?)
本能のような何かが告げたのだ。
「彼は、仁王 雅治ではない」と。
「...驚いたなぁ」
目の前の彼は、さすがだ、と綺麗な顔で笑うと、おーい!と手を振った。
「ゆきむらせんぱーい!
うまくいったっすかー?」
なに?と振り返った先から甲高い声で駆け寄ってくるのは、ふわふわした黒髪が子犬のようなストリートファッションの男性。
「ふふ、だめだったよ。
さすがに目の前に来ると分かるみたいだ」
「っまじっすか!?」
すげー!と興奮した様子の彼に見覚えは無い。
「仁王の『イリュージョン』も腕が落ちたか?」
「っ誰っ!?」
新しい声に振り替えると、いいデータが取れた、と頷く質の良さそうなスーツを着た男性。
あっという間に見知らぬ男性(一人は今朝の恋人と同じ姿だけれど)に囲まれ、何事?とバッグを握る。
「柳、そら聞き捨てならんぜよ」
『今朝の仁王雅治』になりきっている人の後ろにあった彼の車の運転席の扉が開き、お疲れさん、と顔を見せた銀髪に泣き黒子の彼。
車のこちらと向こうにある見知った顔。
「...あなたがた、雅治さんじゃないですね?」
え、と固まった男性たち。
(香水も同じ...
服も雅治さんのものだけど)
じっ、と『二人の雅治』さんを見る。
「あなたも、あなたも。
雅治さんじゃ、ありません」
「どうして、そう思うんだい?」
微笑んで腕を組む『今朝の雅治』さん。
「理由ば聞かせんしゃい」
『車の雅治』さんに聞かれ、ん、と『今朝の雅治』さんの足元を指差した。
「靴?」
「彼の部屋にあった同じデザインのウイングチップは、お世辞にも手入れがされているとは言えないものでした」
みんなが視線を向けたそこには、艶めく黒の革靴に反射するオフィス街のネオンがあった。