第6章 王子様なんかいらない
駆け込んだのは、女子トイレ。
走っただけではない動悸に、握りしめていた携帯を開く。
(マサ、)
ご丁寧にV.I.Pに設定されている最新登録された連絡先をタップする。
-どぎゃんしたぜよ-
耳に届いた声に、ズルズルと座り込む。
-マユ?繭結っ-
名前を呼ばれると、溢れ出しそうになった涙に鼻を啜った。
-泣いとるがか?
何があったぜよ?
ベコになんぞされたか?-
「っえ?な、なんて?」
早口で訛った喋りは、なんと言っているのかよくわからなくて、わかんないよ、と笑った。
「なんか、声、聞きたくなっちゃって」
-なんじゃ、仕事が終わるまで待てんかったか?
耐え性のないおなごじゃのぉ-
ノイズのように聞こえたのは、紫煙を吐き出した音だろう。
「ねえ、マサのタバコってなんてやつ?」
-なんじゃ、急に-
「教えてよ」
-マルボロのアイスブラスト-
そう、と銘柄を脳に刻みつける。
-おなごが吸うにゃ、色気ん無いぜよ-
「吸わないわよ」
まだ、何も知らない。
知りたいことばかり。
「今日も、お仕事?」
-今、昼休みじゃなぁ-
え、と聞く。
「バーテンダー、じゃない、の?」
-ありゃバイトじゃ-
アルバイト、と放心する。
-何時に退社できるんじゃ?-
「え、あ、17時45分...」
-朝、降ろした所で待っときんしゃい-
「わかった」
-マユ-
呼ばれて、なに?と答える。
-心配しなさんな-
「うん」
なんの根拠もないその言葉が、お守りのように感じた。
✜
「藤波 繭結さん?」
はい、と午後の勤務中に声を掛けられた彼から受け取った名刺。
「弁護士、」
「大迫 慶太さんの件について、お話したいことがあります」
「え、」
チラチラと視線を寄越してくる隣の澤田。
「すいませんが、勤務中ですので...
ええっと、15時頃に改めて私からご連絡を...」
「わかりました」
会釈をして建物を後にする男。
「藤波さん、大丈夫?」
顔真っ青よ、と不審そうに男を見た澤田。
「大丈夫です」
制服のポケットにしまい込んだ名刺。
(弁護士...?)
頭を過った元恋人に、まさか、と頭を振って、すみません、と掛けられて声に笑顔を作った。
✜