第1章 君の影
甚爾は唇を歪めた。
悟として過ごす1日が、どう転ぶのか。
この状況を利用するか、それとも早く元に戻す方法を探すか。
ただひとつ確かなのは――
鏡に映るこの姿に、もう逃げ場はないということだった。
洗面所から出た甚爾は、悟の部屋を探って手早く着替えを済ませた。
白いシャツに黒のスラックス、そして上着を羽織ると全身がやけに軽く足取りが自然と長くなる。
――なるほど、こいつは背が高ぇ上に体重も軽い。歩くだけで視界が広がるわけだ。
ポケットには悟の財布とスマホを放り込み、玄関の靴箱を開ける。
並んでいるのは高そうな革靴やスニーカーばかりだ。
適当にスニーカーを履いて外に出ると、朝の空気がひやりと頬を撫でた。
目的地は高専。
悟のスマホに入っていた予定表には“午前10:00 会議室”とだけ書かれている。
甚爾は土地勘のない道を、地図アプリを頼りに進んだ。
やがて、見えてきたのは懐かしい木造の門。
足を踏み入れると、あの独特な結界の気配が肌を撫でる。
――やっぱり、ここが高専か。
校舎へ向かう途中、正面から1人の女性が駆けてきた。
年の頃は10代半ば、肩までの黒髪を揺らし制服のような黒いジャケットを着ている。
その顔に浮かんだ笑みは、まっすぐ悟――
の姿に向けられていた。
「悟! どこ行ってたの? 会議、もう終わっちゃったよ。」
耳に届いた声は、どこか親しげで遠慮がない。
甚爾は思わず立ち止まり、目を細めた。
甚「……ああ? 悪ぃ、ちょっと寝坊してな。」
悟の声帯から出る軽い声が、自分の口から流れ出るのはまだ妙な感覚だ。