第3章 偽物の指先
こちらの正体が甚爾ではないと悟られてはいないが、今日の“優しさ”は確かに違和感を与えたはずだ。
路地を抜け、幹線道路に出る。
車の排気音とアスファルトの匂いが混ざり、夏の陽射しが額を照らす。
信号待ちで立ち止まり反対側の歩道に視線を向けると制服姿の学生が数人、コンビニ袋を手に笑い合っていた。
――高専の生徒じゃないな。
だが、この雰囲気……
やっぱり街の空気が違う。
青信号になり、歩き出す。
少し進むと周囲の建物が低くなり、遠くに木々の緑が見え始める。
あの先が、高専の敷地だ。
途中、小さな公園の前を通るとブランコに腰掛けた子供と、その傍らでスマホをいじる母親の姿があった。
何気ない光景――
だが悟の中で、ほんの僅かに胸を締めつける感覚が走る。
甚爾の過去や、息子のことがふと頭をよぎったのだ。
悟「……余計なことだな。」
小さく呟き、視線を前に戻す。
やがて、高専の門が視界に入った。
ここから先は、別の緊張感が待っている。
悟は足を止め、軽く息を吐く。
ホテルでの甘い空気も女の香水の残り香も、すべてを振り払うように。
今から会う相手は、笑顔の下で鋭い目を持つ者たちだ。
迂闊な隙は見せられない。
足を踏み出すと、砂利の擦れる音がやけに鮮明に耳に届く。
――さて、何が待っているか。
そんなことを思いながら、悟は高専の門をくぐった。
悟は、玄関先で立ち止まった。
視界の奥で、見慣れた後ろ姿――
長い髪を揺らす澪。
そしてその目の前には、自分と全く同じ顔をした“男”が立っていた。
しかも、その男の腕は当然のように澪の腰に回されている。
2人の距離は、あと1歩で唇が触れるほどに近い。
一瞬、思考が止まった。
だがすぐに、胸の奥から熱いものがこみ上げる。
――俺の姿で、何やってやがる。
悟「おい。」
低く押し殺した声が、玄関の空気を揺らす。
澪が驚いて振り返るより先に、その“悟”がこちらを見やった。
いや、中身は甚爾だ。
あの気だるげな眼差しと、挑発を含んだ口元の動きがそれを物語っている。
甚「…よぉ、良いところに来たな。」
わざとらしく軽く言い放つ甚爾。
その腕はまだ澪の腰に置かれたままだ。