第1章 君の影
女は
「わ、私、もう行くね。」
と小さく言って、逃げるように教室を出て行った。
ドアが閉まる音が響く。
甚爾は肩をすくめ、硝子へ軽く手を振った。
甚「お前、タイミング悪ぃなぁ。あとちょっとで良いとこだったのに。」
硝「良いとこって……お前、また変なことしようとしてたんじゃないの?」
甚「人聞き悪ぃなぁ。ただの再会の挨拶だよ。」
硝子はため息をつき、顎で廊下を示した。
硝「良いから戻る。会議終わってんだから。」
甚「へいへい。俺だって真面目に参加するつもりだったんだぜ?」
軽口を叩きながらも、甚爾は教室を出て硝子の横を通り過ぎる。
硝子はじっと背中を見つめながらも、何も言わなかった。
廊下に出ると、夕方の光が窓から差し込み床に長い影を落としている。
甚爾はその影を跨ぎながら、頭の中で先ほどの女の反応を反芻していた。
――あと一押しだったな。アイツさえ来なきゃ、もっと深く踏み込めた。
だが、焦る必要はない。
むしろ、この中断が女の中に妙な余韻を残す。
次に会うときアイツはきっと意識せずには、いられねぇ。
硝「……何ニヤついてんの。」
横を歩く硝子が冷ややかに言う。
甚「いやぁ、可愛いなーって。」
硝「誰のこと?」
甚「内緒。」
硝「はぁ?」
硝子は呆れたように首を振り、先に廊下を曲がって行った。
甚爾はポケットに手を突っ込み、悟らしい軽い足取りでその後を追う。
会議室の扉を通り過ぎる。
中からは複数人の話し声が漏れ聞こえていた。
甚爾は表情を崩さず、悟の役を完璧に演じるための仮面を再びしっかりと被った。
――まだ芝居は続く。次は、あの女をどうやって俺の懐に落とすか、だ。