第3章 第2話 ― 玖仁 ―
季節の変わり目、少し髪を切りたくなった。
いつも行っていた美容室が予約でいっぱいで、
たまたま見つけた店のドアを開けた。
白と木目が基調の落ち着いた空間。
柔らかい音楽が流れていて、
シャンプーの香りがふんわり漂っていた。
受付を済ませて席に通されると、
鏡越しに一人の男性と目が合った。
「本日、担当させていただきます。玖仁です。よろしくお願いします」
低めの声が、耳に心地よく届いた。
笑顔というより、穏やかでやさしい表情。
その目が、まっすぐで、なのにどこか包み込むように柔らかい。
「緊張されてますか?」
「少しだけ。初めての美容室って、なんか落ち着かなくて」
彼は軽く頷いて、ドライヤーのコードを整えながら微笑んだ。
「大丈夫ですよ。リラックスしてもらえたら嬉しいです」
ハサミの音が静かに響く。
手際が良くて、無駄な動きがない。
それでいて、ひとつひとつの仕草がやさしい。
「髪、柔らかいですね」
「よく言われます」
「きっとお手入れが丁寧なんですね」
その言葉に少し照れて、鏡の中の自分を見た。
彼と目が合う。
一瞬のことなのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「また来ていただけたら嬉しいです」
仕上がりを確認しながら、彼がそう言った。
「はい。……またお願いすると思います」
会釈をして席を立つ。
外の空気が少し涼しくて、頬がまだ温かい。
手ぐしを通した髪が軽く揺れるたび、
鏡越しの優しい視線が、思い出の中で静かに灯った。