第19章 if 決戦前夜
その瞬間、耐えきれなくなった。
俺は彼女の肩に手を伸ばし、力いっぱい抱きしめた。
振り払われることはなかった。
彼女はただ、震えるだけで、拒まなかった。
白い髪が俺の頬に触れる。
あの戦場で血と泥にまみれ、剣としてだけ生きてきた彼女が、今はただのひとりの女として泣いている。
それを腕の中で感じながら、胸が張り裂けそうだった。
「……すまない。本当に、すまない」
囁きのような声が、彼女の耳元に落ちる。
「俺は、お前が生きているこの世界を……守りたいんだ。たとえ、俺がもういなくても」
「そんな世界なんて、いらない……!」
「嘘だ」
言葉が自然と零れた。
「お前は、きっと生きる。泣いて、怒って、それでも立ち上がる。俺は、それをずっと見てきた。だから分かるんだ」
「……どうして、そんなことが言えるの」
「お前が、そういう人間だからだ」
彼女は言葉を失い、ただ俺の胸に顔を埋めた。
涙が服を濡らし、震える指先が、俺の上着の裾を掴む。
「……俺は、お前を愛している」
言ってはいけない言葉だった。
でも、言わずにはいられなかった。
この夜が終われば、もう二度と伝えられないのだから。
「返事はいらない。見返りも、求めない。……ただ、それでも生きてくれ。ルカ様が見たかった世界を、お前の目で見てほしい」
「……それは、酷なお言葉です」
「ああ。酷い。分かってる。だから、俺が引き受ける。お前が生きている間、ずっと俺が苦しむ。お前は、生きてくれ」
嗚咽がまた、彼女の喉から零れた。
それでも、先ほどまでの絶望とは違う。
ほんの僅かに、ぬくもりを含んでいた。
「……貴方がいなくなったら、私はまた、空っぽになるかもしれません」
「それでも、生きろ」
「また誰かを、失うかもしれません」
「それでも、生きろ」
「貴方のもとにも、行けない」
「それでも、構わない」
沈黙が落ちた。
時間が止まったように、ただ互いの体温だけが流れている。
「……アルネリア」
「……はい」
「もし、生き延びたら――」
言いかけて、言葉が喉で止まる。