第16章 特別幕間 赤の葛藤(シード視点)
それからだ。気がつけば目で追っている。
訓練場で汗が額を伝うとき。
廊下の曲がり角で侍従に「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げるとき。
街で香布を手に迷っていたとき。
笑うとき――音にならない笑い。唇の端が少しだけ上がる、それだけの仕草。
胸が、ひゅっとなる。馬鹿みたいだ。戦じゃ一度も乱れない呼吸が、一秒だけ躓く。
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広間では、歌がひとつ、二つと重なる。
俺は壁際から離れ、配膳の台の陰で栓を抜く真似をして、ジュースを注ぎ足した。
ミモザの“見た目”は祝いだが、中身は軽い。最初は水、次に甘さ。きっかけは俺の過ちだ。
笑えるだろ? 最初にウイスキーのショットなんて渡した阿呆が、いまは水と甘さの順番を守らせてる。
でも、それでいい。今日は剣ではない時間だ。
俺は杯を整え、皿の位置を直し、邪魔にならない位置で様子を見張る。
護るために、できることをやる。それが俺の仕事だ。
視線の先で、彼女は“陛下”に軽く会釈した。
ルカ様の目が細くなる。温度が一度だけ変わる。
ほんの、ほんの一瞬だ。
なのに、胸の奥がしびれる。
――そうだ。それでいい。お前が笑ってるなら、それでいい。
俺は背中を壁に預け、息をひとつ吐いた。
心が「奪え」と言うなら、俺はその心を殴る。
心が「言え」と騒ぐなら、俺は舌を噛む。
忠誠は、剣の柄に塗り込めた油だ。乾かせば刃は錆びる。
俺は、錆びない。