第14章 その名に宿るもの
火は低く、部屋はやわらかな暗さを保っていた。
肩を寄せたまま、どちらも長く息を吐く。
アルネリアの髪が胸に触れ、ルカの指がためらいがちにその一本を耳の後ろへ戻す。
「……アルネリア。」
名を呼ぶ声は、命令でも号令でもなく、ただの男の声だった。
返事の代わりに、彼女の指が彼の衣の端をそっとつまむ。
沈黙が落ちる。
すぐに気づく――彼の身体のどこかに、張りつめた熱。
抑えられた呼吸が、ほんの僅かに乱れる。
「……苦しく、ないのですか。」
彼は一拍おいて、短く答えた。
「構わない。」
構わない――けれど、その言葉の下にあるものが、彼女にはわかった。
炎と血の夜。
彼は母が蹂躙される光景を、少年の眼で見てしまった。
彼女自身も、あの夜、尊厳を踏みにじられた。
だからこそ、彼は踏み出さない。彼女の傷を二度と脅かしたくないから。
アルネリアは顔を上げる。
暗がりで目が合う。
その黒の奥に、いつもの冷徹ではない何かが灯っていた――ためらい、そして、守りたいという意志。
「……ルカ様。」
「なんだ。」
「わかっています。……ルカ様が、私の過去を気づかってくださっていること。」
指先が彼の手を探し、そっと重ねる。
「でも、私はもう、ルカ様のものです。
そして――私も、ルカ様を求めています。」
喉の奥で小さな音が切れ、彼は視線を落とす。
「無理は、させたくない。」
「無理はしません。……ルカ様なら、構いません。」