第12章 幕間 戦略家の沈黙
宴のざわめきは、戦場の風とは違うゆるさで人の心をほどく。
その夜、クラウスは杯を手にしながら、視線の流れだけを戦のように追っていた。
輪の温度、席次の傾き、笑いの拠り所――そして、人の目がどこに留まるのか。
アルネリアは、最初に水を。
「最初は、水を」と言った彼女の声に、周囲の空気がほどける。
ルカ様はほんの刹那だけ目を細められた。
そこへ、シードが“何気なく”ミモザの見た目を整え、ジュースを継ぎ足す。
手は軽い。だが、その指先には妙な震えがない。慣れている――そして、気づかれまいとする慎重さがある。
(……気づかれたくないのは、誰に対してか)
クラウスは杯を置き、答えを言葉にしない。
戦略家は、しばしば「答えを作らない」ことで秩序を保つ。
だが、目は事実を拾ってしまう。
シードは、アルネリアが笑う瞬間だけ、息を止める。
背後の兵の冗談では笑わないが、彼女の口の端がほんのわずかに上がると、肩の力が抜ける。
彼は最短で邪魔にならない位置に回り、甘さと水を順に置いていく。
“護衛の動き”に見える。実際、そうでもある。
ただ、その導線には、戦場では必要のない“やわらかさ”が織り込まれていた。
(仲間としての配慮――だけではない、か)
結論は出ている。出してしまった、が正確だ。
クラウスは盃の影で、ひとつ息を細くする。
“気づいてしまった側”ができることは、案外少ない。
⸻
翌朝の訓練場。
砂粒に露が残り、刃の抜ける音がよく通る。
アルネリアの太刀筋は、昨日よりわずかに柔らかい。
柔らかいが、鈍くない。選ぶ刃だ――と、クラウスは思う。
「クラウス」
呼び捨ての音が、礼節を失わぬ温度で届く。
彼女は敬語で、名だけを短く。
「おはようございます。ご視察ですか」
「ええ、少し」
「でしたら……失礼のない範囲で、ご意見をいただけますか」
「差し出がましいですが」
クラウスは言葉を整える。「二太刀目、踏み込みの幅を一寸だけ狭めると、三太刀目が“選べる”はずです。『斬るため』ではなく『斬らずに済ませるため』にも」
「――承知しました」
彼女は“承知”と言い、すぐに実行する。
踏み幅が一寸、静かに変わる。
三太刀目が、確かに“開く”。
クラウスは頷き、口を閉じた。
この変化が、彼女のものとして根付くまで、余計な言葉はいらない。
