第11章 幕間 剣を見つめる者たち
静かな観察者 -クラウス視点-
彼女と初めて言葉を交わした日のことを、クラウスは今でも覚えている。
戦場の帰還直後、まだ血の匂いが兵舎を満たしていた夜だった。
冷たい眼。
切っ先のような声音。
一言一言が、まるで「斬る」ために放たれているような女だった。
――あれが、“陛下の剣”か。
その印象は、長く揺るがなかった。
誰よりも早く刃を抜き、誰よりも速く敵を仕留める。
感情の揺れは微塵もなく、私情などという甘い言葉は、彼女の中に存在しない。
まるで、帝国そのものの意志が刃になって歩いているようだった。
しかし――。
あの日、街を歩く彼女の姿を見たとき、クラウスの観察者としての眼は、初めて“戸惑い”という名の色を帯びた。
「これは……」
口から自然と漏れた声は、驚きというよりも、どこか安堵に近かった。
市場の露店で、彼女はひとつの布を手に取っていた。
白地に淡い藍の花模様が刺繍された小さな布切れ。
指先がほんの少し震えているのが、遠目にも分かった。
「似合うと思いますか?」
静かな声が問う。だが、それは刃が決して発しない種類の言葉だった。
「はい」
クラウスは迷わず答えた。「陛下が“それ”を受け取ったとき、きっと静かに目を細められるでしょう」
アルネリアは言葉もなく、その布を眺めていた。
それは「敵の死角」を測るときの眼ではなかった。
それは「人の心」を測ろうとする眼だった。
――変わりつつある。
戦術家としての本能が、彼の胸の奥で静かに囁いた。
刃はただの刃ではない。
感情が宿れば、それは新しい武器になる。
そしてその“感情”こそが、帝国を次の段階へと導くのだと。