第9章 幕間後日談 甘さの残り香
「余韻という名の秩序」(ささやかな交差)
夜、広間の灯が落ちる前。
シードは厨房で、薄い水差しとオレンジの籠を確認した。
クルガンは侍従の名を控え、誰がどこに立つかを決める。
ソロンは席次をちらりと変え、笑いの重心が偏らないよう目に見えない楔を打つ。
廊の角で、クラウスは卓上の湯気を見ていた。
紅茶の香りは剣の匂いを薄め、剣の匂いは紅茶の湯気をまっすぐにする。
いつでも差し出せるように、彼はカップを二つ、用意しておく。
そして――扉の向こう、歩みの音。
アルネリアが入ってくる。
いつもの足取り。いつもの気配。
ただ、視線の端にだけ、あの夜の“甘さ”が、痕のように残っている。
「陛下」
立ち上がった彼女に、ルカはうなずく。
「任は明日から重くなる。今夜は軽く食せ」
「命、了解」
シードがミモザの“見た目”を整え、グラスを差し出そうとしたその時、アルネリアは先に言った。
「――最初は、水を」
一拍、静寂。
すぐに、ふわりと小さな笑いが輪になって広がる。
クルガンが頷き、ソロンが目だけで称賛し、クラウスが盆を前へ出す。
ルカは小さくうなずいた。
秩序は、こうして作られる。
刃を守り、人を守り、戦を前に進めるための“余韻”という名の秩序が。
水が喉を通り、息が整う。
次に注がれたグラスは、甘く、やわらかい。
けれど、その甘さはもう、誰の足もすくわない。
――最初に、水を知っているからだ。
灯が一段落ち、歌が始まる。
あの夜の残り香は、もはや危うい誘惑ではない。
それは、彼らが分かち合える小さな合図になっていた。
アルネリアはグラスを置き、窓の外の夜を一度だけ見た。
誰にも聞こえないほどの小ささで、唇が動く。
「……悪く、ない」
その呟きは、どこかで誰かの言葉と重なり、夜の梁にそっと留まった。
幕間の余韻は、音を立てずに次の頁へと繋がっていく。