第8章 幕間 祝いの夜
父を喪い、家族という概念が瓦解してから、アルネリアはその痛みを自分の剣で押し殺してきた。
だが、その夜ばかりは違った。酒が、戦の熱が、人の輪のぬくもりが、押し込めたはずの心を解きほぐしていく。
「……父、さ、ま……」
ぽつりと、あまりに小さな声が零れた。
それは誰に向けたものでもない。彼女自身の心の奥底に向けた、かすれた呼び声だった。
空気が一瞬、張り詰める。
シードは言葉を失い、クルガンは眉を伏せ、クラウスは声をかけるべきか迷って唇を噛んだ。
その沈黙の中で、ただ一人、ルカだけがまっすぐに彼女を見ていた。
「……休め」
それは命令の形を取った赦しの言葉だった。
アルネリアはゆっくりと目を閉じ、こくりと小さく頷く。
やがて彼女は、机に頬を預けるようにして、穏やかな寝息を立て始めた。
その寝顔を前に、広間に漂う空気は不思議な静けさを帯びる。
「運びましょうか?」
クルガンが問うと、ルカは小さく首を横に振った。
「少し、このままでいい。――今夜は、ここがよい」
それは剣ではない彼女を“見たい”という衝動だった。
危うく、脆く、刃を鈍らせるかもしれないそれを、目を逸らさずに見ていた。
***
夜が更けたころ、アルネリアは控えの部屋へと移された。
クルガンが肩を貸し、クラウスが寝台を整え、シードが灯りを落とす。
眠りの淵で、彼女は誰かの袖を探すように手を伸ばしたが、掴んだのは布だけだった。
「……もう、飲みません」
夢と現のあわいで零れたその言葉に、ルカは静かに答える。
「そうしろ」
彼は最後まで部屋を出ず、椅子に腰を下ろして夜を見守った。
アルネリアの額に残る朱。規則正しい呼吸。そのすべてが、なぜか胸の奥をざわつかせた。
――これは、何だ。
痛みとも、違う。
苛立ちとも、違う。
ただ、そこに何かが“ある”という事実だけが残り、名を与えることはできなかった。