第8章 幕間 祝いの夜
「シード」
低く響いたのはクルガンの声だった。
「初めて酒を飲む者に、それは渡すものではない」
「はは、悪かった。……でもほら、剣の腕があるんだ、酒にも強いと思ってな」
「剣と体質は別問題だ」
二人のやりとりを聞きながら、アルネリアは手で口元を押さえ、ようやく息を整える。
「……問題ありません」
そう言い切る声には芯があったが、やがて顔に朱が差し、視界がゆるやかに揺れ出す。
椅子の背にもたれ、机に肘をついた。普段は決して見せない、わずかな“隙”が浮かぶ。
「顔が赤いぞ」クルガンが眉を寄せる。
「……少し頭が痛んだだけです。ですが――祝いの席ですから。せっかく用意していただいたものを口にしないのは……忍びないので」
その律儀さに、シードは反省の色を見せた。
「悪かったな。じゃあ次は……もう少し優しいやつにしよう」
彼は別の卓からシャンパンの瓶を取ると、音を立てて栓を抜く。
オレンジジュースを注ぎ、泡立つ液体を混ぜ合わせた。
「ほら、ミモザだ。祝いの席にはこっちの方が似合うだろ?」
アルネリアはそれを受け取ると、半ば疑いの目を向けた。
「……毒では?」
「だったら俺が先に死んでるさ」
シードが自分の杯をあおって見せる。アルネリアは、わずかに口元を緩めてから口をつけた。
甘い香り。舌に触れた瞬間、今度は柔らかな果実の甘さが広がる。
「……これは、甘いですね」
「だろ? 最初からこうすればよかったんだ」
シードの肩の力が抜け、クルガンも「それでいい」と呟いた。
***
少し離れた席から、その様子を見つめる瞳があった。
クラウスだ。若い目はよく観察し、よく記憶する。
――剣が揺らいでいる。
彼の中でそういう言葉が浮かぶ。戦場では決して見られない表情。鋭く研ぎ澄まされた刃ではなく、陽の下で少しだけ溶けた氷のような顔。
それは脆さではなく、「人」としての気配だった。
「ルカ様」
クラウスが声をかけると、ルカは杯を置いて目を向けた。
「……見ている」
短い答え。しかしその声音には、いつものような冷たさがなかった。
彼の目は、ただ剣を見ている時のそれではない。まるで“何か”を確かめるような視線だった。
「剣も、たまには鞘に納まって休めばいい」
低く、静かな声が広間に届く。
「命だ。今夜は楽しめ」