第6章 焦がれることを知らぬ者
ルルノイエの夜は静寂に沈んでいた。
風はなく、蝋燭の炎さえも微かに揺れるだけ。
石造りの城は、昼の喧噪を拒むように眠っている。
その長い回廊を、ひとりの男が歩いていた。
青のマントを引きずる音だけが、硬い床を叩く。
ルカ・ブライト。
戦場では猛獣と恐れられた男が、いまは音もなく歩く。
夜の空気は重く冷たい。
遠くで兵の交代の声が微かに響き、それもすぐに闇に溶けた。
部屋に戻ると、机の上には血に染まった手袋が置かれていた。
あの夜の戦でついたものだ。
まだ乾ききらぬ血が、黒く固まっている。
誰の血かは、もう覚えていない。
――だが、その中に、自分の血が混じっているような気がした。
ルカは指先で手袋をつまみ、黙って火の中に投げ入れる。
ぱち、と小さな音。
赤い火が一瞬だけ強くなり、黒い影が壁を揺らした。
「……くだらん。」
吐き出すように呟く。
何がくだらないのか、自分でも分からなかった。
ただ胸の奥が妙にざわついて、黙っていられなかった。
窓の外には、冷たい月が浮かんでいた。
まるで血を吸ったように白く、冷えた光を落としている。
ルカはその光を睨みつけるように見上げた。
月の下――城の別棟に、治療室がある。
そこに、あの女――アルネリアがいる。
報告によれば、命に別状はない。
脇腹の傷は深かったが、動脈を外れていた。
いずれ再び立てるだろう、と。
その知らせを聞いた時、ルカはなぜか言葉を失った。
安堵、ではない。
それに似た、しかしもっと不快な感覚だった。
彼は椅子に腰を下ろし、手の中のワインをゆっくりと傾ける。
赤が光を受けて揺れ、血のように見えた。
口をつけることもなく、ただ見つめる。
「……剣が傷ついた程度で、何を考えている。」
呟きは、自嘲のように低く響いた。
彼にとって、兵も、部下も、女も、道具にすぎない。
戦うために使い、使い潰し、必要がなくなれば棄てる。
そうして数えきれぬ命を奪い、燃やしてきた。
なのに――あの夜。
炎の中で膝をついた女の姿が、瞼の裏から離れなかった。