• テキストサイズ

黒の王と白の剣 幻想水滸伝Ⅱ 夢

第5章 焔の揺らぎ 名も無き祈り


だが、アルネリアが地に膝を落としたその瞬間――
彼の瞳が、微かに揺らいだ。

ほんの一拍。
その動きは誰にも気づかれないほど小さかった。
だが、確かにあった。

胸の奥が軋む。
理由の分からぬ苛立ち。
怒りとも違う、名を持たぬ熱。

「……何だ、これは。」
心の奥で、ルカは呟いた。
ただの剣に、感情を抱くなどありえない。
傷つこうが折れようが、替えは利く。
そのはずなのに、視線を逸らせなかった。

血に濡れた女が、立とうとしている。
その指が、地を掴み、崩れ落ちた体を引き上げようとする。
生きる意思。
それが剣であるはずの者の中に、まだ宿っている。

彼は歩を進めた。
焦げた木片を踏みしめ、彼女の前に立つ。
炎の粉が舞い、二人の間で時間が止まる。

ルカは静かに息を吐き、低く告げた。

「……折れるな。」

声は低く、かすれていた。
命令の響きではない。
言葉の形をした“衝動”だった。

アルネリアの瞳が、かすかに動く。
その一瞬、彼女の中の何かもまた、揺れた。

夜が明ける。
炎は消え、村は灰に沈んだ。
兵たちは撤収の支度を整え、風が焦げた布をはためかせる。

ルカは丘の上に立ち、担架に横たわるアルネリアを見下ろした。
包帯が白から赤へと滲み、呼吸は浅く、それでも確かに続いていた。

朝の光が、彼の横顔を照らす。
その表情は、いつもと同じ無表情――
のはずだった。

しかし、わずかに眉が動いた。
唇が、言葉にならぬ何かを形作ろうとして、止まる。
喉の奥が、苦い熱で満たされる。

――何だ、この感覚は。

彼はそれを、拒むように吐き出した。
「……お前は、俺の剣だ。勝手に折れるな。」

それは命令であり、同時に自分自身への否定だった。
揺らぐな、迷うな、感じるな――と。

青いマントが風を裂く。
炎の残り香が消え、朝が訪れる。
それでも、ルカの胸の奥では、まだ微かな熱が燻っていた。
それは怒りでも慈悲でもない。
――ただ、彼自身にも名づけられぬ、ひとつの“揺らぎ”だった。
/ 123ページ  
スマホ、携帯も対応しています
当サイトの夢小説は、お手元のスマートフォンや携帯電話でも読むことが可能です。
アドレスはそのまま

http://dream-novel.jp

スマホ、携帯も対応しています!QRコード

©dream-novel.jp