第4章 初陣
夜明け前の風は冷たく、鉄の匂いがした。
兵たちの鎧が低く鳴り、馬の吐息が白く漂う。
アルネリアは列の最後尾で、ただその背中を見つめていた。
――青いマント。
夜の帳を裂くような色。
その布の揺らめきが、彼女の胸に重く焼きついている。
彼――ルカ・ブライト。
自らの血で契約を交わした“主”。
それから幾日も経たぬうちに、彼は彼女に「剣としての試し」を与えた。
「敵は五百。都市同盟の哨戒隊だ。」
前夜、ルカはそう告げた。
まるで、焚き火の炎に映る木片を数えるように淡々と。
「恐れることはない。お前の刃が濁るなら、それは命令に従っていない証だ。」
アルネリアは頷いた。
その言葉が、呪文のように胸にこだまする。
恐れることはない。
恐れたところで、私の命はもうこの人のものだ。
――私は陛下の剣。
陛下が斬れと言えば斬り、止まれと言えば止まる。
それでいい。
それだけでいい。
だが、夜が明け、戦場を前にした今。
冷えた空気の中で、胸の奥がわずかに疼いた。
これは、“死ぬため”の戦ではない。
“生きるために殺す”戦だ。
彼の命令は、ただそれだけの違いを孕んでいる。
号令が響く。
地を蹴る音が連なり、兵たちの影が山を下る。
金属と怒号の渦が、あっという間に空を染めた。
アルネリアも剣を抜いた。
刃が朝日を受けて鈍く光る。
都市同盟の兵の一人がこちらに駆ける。
振り上げられた斧の重み。
その瞬間、アルネリアの体は勝手に動いた。
腕が、血のように赤く閃く。
……倒れた。
自分の刃で、命が断たれた音がする。
足元に広がる血の匂いに、胸の奥が熱くなる。
恐怖ではない。
むしろ、焼け跡の村を思い出した時と同じ匂いだった。
「悪くない。」
その声が、背後から落ちてきた。
振り返ると、青のマントが陽光を裂く。
ルカが馬上から戦場を見下ろしていた。
彼の顔に、笑みが浮かんでいた。
狂気ではない。
むしろ、計算された愉悦――
命が砕ける音を、美と見る者の微笑。
「怯むな。剣を汚すな。
――敵は、お前が生きるための糧だ。」
ルカの声は、命令ではなく宣告だった。
その瞬間、アルネリアは悟った。
自分がこの男のもとに生かされた意味を。
生き延びることが罪ではなく、命令であることを。