第23章 追加if それから しまっておく気持ち
「アルネリア」
「……はい」
「今日も、生きてくれてありがとう。……愛してる」
「……ありがとう……私…も…」
彼女は目を伏せ、言葉を奥にしまい直した。
扉は壊れていない。ただ、今日はいったん外して、また丁寧に嵌め直しただけだ。
外から見れば何も変わっていない。けれど、蝶番だけが、少しだけ滑らかになっていた。
*
その日から、帳面には小さな印が増えていった。
“帰還”。“泣いた”。“抱きしめ返した”。
短い線が並ぶたびに、彼女は思う。
「裏切りではない」とは書けない。けれど、「裏切りだけではない」となら、書けるのだと。
夜、灯を半分落とした部屋で、彼はいつものように尋ねる。
「抱きしめてもいいか」
アルネリアはうなずく。言葉がいらない夜もある。
腕の中に収まり、呼吸を合わせる。
まぶたの裏に浮かぶのは、ルカ様の名前。消えない。消さない。
そのすぐ隣に、別の温度が静かに並ぶ。名はつけない。つけずに、ただ受け入れる。
「苦しくないか」
「……大丈夫、です」
「……よかった」
彼の胸の鼓動に合わせ、アルネリアは小さく息を吸った。
しまっておく気持ちは、今日も場所を持っている。
けれど、その場所は少しだけ広がっていた。二人分の呼吸が、静かに収まるほどには。
*
日々は続く。
帰りが遅れる夜もあれば、遅れない夜もある。
「おかえり」と言う回数は少しずつ増えて、「いってらっしゃい」はいつも同じ強さで送り出す。
「愛してる」は、彼がときどき置いていく。拾うのは、彼女の役目だ。
最終戦の朝だけは、まだ来ていない。
その朝のことを考えるたび、胸の奥の扉に手を当てる。
開け放しにはしない。閉め切りもしない。
鍵はかけず、音がしたら分かるようにしておく。
それでいい、と今は思える。
それでしか、生きられない、とも。
城の窓の外で、風が鳴った。
灯は細く、長く燃える。
近くにある体温だけが、夜の深さを測ってくれる。
その温度がある限り、彼女は今日の欄にこう書ける。
――生きた。
そして、しまっておけた。少しだけ、こぼれた。
自覚したくはないけれど、私は、きっと――