第22章 追加if 花の名の記憶
アルネリアの喉が、小さく鳴った。
「忍耐」という音が、彼女の中でどこに落ちるのか、俺には分かっているつもりだった。
耐えることを、彼女は人生で何度も強いられ、何度も選んできた。
それでも今、もう一度だけ、それを言葉として渡したかった。
「だから、さ。今はまだ辛いかもしれねえけど……耐えれば、その、いつかは――」
うまく続かない。
慰めたいのに、語彙が喉で絡まって、ほどけない。
俺は自分の不器用さを噛みしめながら、それでも視線だけは逸らさなかった。
彼女の肩が、ふっと軽く震えた。
今度は涙じゃない。かすかな、笑いの気配だった。
「……はい。分かります。大丈夫、です。
“いつか”は、きっと来ます。あなたが、そう言ってくれるなら」
その笑みはほんの少しで、すぐに隠れてしまうほど弱々しい。
けれど、たしかにそこにあった。
彼女が“しまっておく気持ち”の棚を、指先でそっと撫でて、ほんの少しだけ隙間を作ったみたいに。
「この花、部屋に置いて、いいですか」
「もちろん。好きにしてくれ」
「窓のそばが、きっと……一番、似合います」
彼女は花瓶を取り出し、水を満たす。
茎が水を吸っていく音なんて聞こえるはずもないのに、部屋の空気がゆっくりと満ちていく。
丸い花房が、窓からの光に透け、影の輪をテーブルに落とした。
「……ありがとう、シード」
「礼を言われるほど、たいしたことはしてない」
「でも、嬉しいです。
名前のこと、花のこと、全部――思い出せて、よかった、です」
「そうか」
それだけ言って、俺は花束の余った包装紙を畳んだ。
紙の擦れる音が小さく鳴る。
遠くで鐘がひとつ、試しに叩かれたような、心もとない音が聞こえた。
「なあ、アルネリア」
「はい」
「その……うまく言えねえけど。
お前の名前が、どんな綴りでも、俺にはきれいに見える。
花のせいじゃなくて、お前が生きてるからだ」
彼女は返事をしなかった。
代わりに、花瓶の位置をほんの少しだけ右にずらし、窓の光を確かめるみたいに目を細めた。
それから、こちらを見た。
笑ってはいない。けれど、泣いてもいない。
ああ、と思う。これが、最初の一歩だ。
「お茶、淹れます。熱いの、いいですよね」
「ああ、頼む」