第98章 努力〜時透無一郎 【R強強】
「ぎ、義勇さん…」
不意に背後から響いたその声と、視界に映った見覚えのある半々羽織。
あまりの驚きに、ゆきはよろめき、川岸の土手で大きくバランスを崩してしまった。
冷たい水に落ちる…!
そう覚悟して固く目を閉じた瞬間、力強い腕が、ゆきの身体をふわりと抱きとめた。
「…着物姿、よく似合っている」
耳元に落ちた、優しく、甘い囁き。
かつて何度も聴いたその声音に、ゆきの全身がカッと熱くなる。
触れ合った胸越しに伝わる彼の体温と、凛とした香りが、封じ込めていた感情を激しく揺さぶった…。
「や、やめてください!」
慌てて身をよじり、ゆきは慌ててその腕から逃れる。
乱れた呼吸を整える間もなく、義勇から距離を取った。
そんなゆきを、義勇は静かな、瞳で見つめてくる。
「時透とは…仲良くやれているのか?」
ぽつりとこぼれ落ちたその問いかけに、ゆきは小さく唇を噛み締め、何も答えることができなかった。
駄目…駄目、駄目だよ…義勇さんと、これ以上話しては駄目…
心の中で激しく拒否する自分がいる。
義勇の優しさに触れてしまえば、もう自分を保てない気がしたから…。
ゆきは顔を伏せ、逃げるようにその場から歩き出した。
遠ざかっていく小さな背中を、義勇はただ切なそうに見つめることしかできなかった。
ゆきが自らの継子を辞して去っていったあの日から、義勇の心はずっと深く塞ぎ込んだままだ。
ほんの数秒前、その腕の中に確かにあった彼女の柔らかな感触…。甘く優しい匂い。
あまりにも懐かしくて、どうしようもなく愛おしくて…
義勇は泣き出しそうになる己の心を必死に押さえ込んだ。胸の奥を、じんじんと焼け焦げるような切なさが支配していく。
ふと手元に視線を落とすと、ゆきから取り上げた見知らぬ小包だけが残されていた。顔を上げても、もうゆきの姿はない。
一方のゆきは、胸の高鳴りを必死に押さえつけながら、屋敷へと駆け戻っていた。