第94章 新たな生活〜時透無一郎 冨岡義勇【R強】
義勇の屋敷へ足を踏み入れると、どこか浮き足立った隠たちの気配が出迎えてくれた。
彼らの表情には、隠しきれない好奇心と純粋な喜びで溢れていた。
柱たちの間で昨夜どのような対話が交わされたのか、彼らは知らない。
ただ「冨岡様と胡蝶様の婚約が破棄された」という事実だけを知り、その先にある淡い期待を寄せていたのだろう…。
「ゆき様、お疲れ様です! 柱なら今、道場にいらっしゃいますよ」
自分の背中を押すような隠達の明るい言葉に、私はぎこちなく会釈を返し、道場へと向かった。
戸を開けるとそこには、一心不乱に木刀を振るう義勇の姿があった。
研ぎ澄まされたその背中は、迷いを断ち切るように力強い。
けれど、私の気配を感じ取ったのか、義勇さんはぴたりと動きを止めた。振り返ったその青い瞳に、驚きが浮かぶ。
「…ゆき?」
彼が私を見る目は、いつもどこか遠くを憂いているように見える…。
「…もうここには、お前は来ないものだと思っていた」
その言葉は低く、どこか諦めた声だった。
私は無意識のうちに、無一郎くんが触れた頬に手を添える。
昨夜の甘やかな痛みと、今朝の口付けの微熱が、まだ肌に残っているような気がしたからだった。
「あの…無一郎くんが、行っても良いと言ってくれたので」
そう告げた途端、義勇の眉がかすかに動いた…。
木刀を床に置き、ゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。
その足取りには、どこか慎重さが混じっている。
義勇さんは私の前で立ち止まると、私の顔をじっと見つめた。その瞳の奥にある名付けようのない感情が、私の胸を締め付ける…。
「…そうか。時透が、お前を」
義勇はそれ以上何も問わなかった。ただ、複雑な表情を浮かべたまま、静かに私を見下ろしている。
今朝、無一郎が耳元で囁いた「稽古だけだよ」という言葉が、不意に脳裏をよぎる。
私は義勇さんの視線から逃げるように、小さく息を吸い込んだ。
「…はい。ですから、いつも通り稽古をつけていただけますか」
私がそう問いかけると、義勇は微かな苦笑を浮かべ、深く頷いた。
そして、いつものように稽古が始まった。