第72章 真実〜冨岡義勇
桜を見上げ、静かに呼吸を整えていたゆきの背後から、不意に足音が近づいた。
「あら、良い香り。ゆきさん、その甘い匂い…無一郎様が以前、私に贈ってくださった香油と同じかしら?」
美月さん…無一郎くんは、私と同じ香りをこの人につけさせてるんだ
美月は、首を傾げて無邪気に笑った。
その瞳には悪意など微塵も感じられない、純粋な「天然」の響きがあった。
「でも、無一郎様が仰っていたわ。『前の婚約者は重かったけれど、君の明るさに救われた』って。…あ、ごめんなさい。私、思ったことをすぐ口にしちゃうの」
美月は困ったように頬に手を当て、さらに言葉を重ねる。
「でも、本当に良かった。貴女が無一郎様を解放してくれたおかげで、今の幸せがあるんですもの。感謝しなくちゃいけないですよね」
その無自覚な刃が、ゆきの心を深く突き刺す。
自分の存在が無一郎の負担でしかなかったのだと突きつけられ、視界が滲む。
「やめて…っ」
堪えていた涙が、足元の花びらを濡らす。
美月は「どうしたの? 具合が悪いの?」と不思議そうに顔を覗き込んできた。
春の光の下、ゆきはその場に崩れ落ち、桜の香りに包まれながら、立ち上がれなくなっていた。
「あ、無一郎様!」美月の弾んだ声が響く。
けれど無一郎は彼女に目もくれず、ただ一人、桜の下で崩れ落ちるゆきの姿にくぎ付けだった。
やっと見つけた。その歓喜は、彼女の涙を見た瞬間に、えぐるような胸の痛みに変わった。
「無一郎様、彼女ったら、昔の『重い』話をしたら急に…」
美月の無自覚な刃が続く。
無一郎の表情が見る見る変わる…。
ゆっくりゆきの前に跪いた。
「君にずっと会いたかった…」
無一郎のそんな言葉を掻き消すように、美月はどこまでも純粋な瞳で、泣き崩れるゆきに声をかけた。
「そんなに泣かないで。貴女が無一郎様を苦しめた過去も、私が全部上書きして幸せにします。だから安心して、もう二度と無一郎様の前に現れないでください。それが、貴女にできる唯一の『償い』だと思います。」
美月は、純粋に思っている事を口にしただけだった。
その言葉に耐えきれなくなったゆきは、無一郎を振り払うようにして立ち上がった。