第72章 真実〜冨岡義勇
翌日。産屋敷邸に足を踏み入れたゆきの足取りは、鉛のように重かった。
「大丈夫だ。俺の側にいろ」
義勇の低く穏やかな声に背中を押され、ようやく顔を上げる。
しかし、視界に飛び込んできた光景に、ゆきの心臓は大きく音を立てる。
木陰で談笑する一団の中に、あの無一郎がいた。
もう婚約者ではない…無一郎くん…少し背が伸びたかな?
「無一郎様、お疲れじゃないですか? ほら、お茶をどうぞ」
美月が無一郎に寄り添い、親密な笑みを浮かべている。
その姿は、誰の目から見ても仲睦まじい師範と継子ではなく、恋人同士そのものだった。
無一郎は拒むことなく、ただぼんやりと彼女を見つめている。
かつてゆきだけに向けられたはずの穏やかな時間は、今、別の誰かのものになっていた。
「…」
ゆきは反射的に視線を逸らした。胸の奥が焼けるように熱く、同時に凍りついていく。
その時、無一郎の視線がふいにこちらを捉えた。
一瞬、無一郎の瞳が大きく揺れる。
無一郎は美月の手を振り払い、一歩、こちらへ足を踏み出そうとする。
「ゆき……!」
無一郎の声が届く。
けれど、その言葉が紡がれるより早く、義勇が静かにゆきの肩を抱き寄せ、自らの背に隠した。
「行くぞ。お館様がお目見えになる」
義勇の大きな掌の温もりが、震える肩に伝わる。
無一郎の手は、ゆきに手を伸ばしたまま止まった。
何も言えず立ち尽くす無一郎。
ゆきは、溢れそうになる涙を堪え、振り返ることなく歩き出した。
無一郎くんは、私に関わらないほうがいい…隣にいるその人を大切にしてあげて…
「ゆき俺は会議に出る。お前は、部屋で待つか?」
「いえ…中庭の鯉を見るのが好きなんです。もう春で桜も満開だし…中庭に居ます。」
「そうか…春だが外はまだ冷える。寒くなったら屋敷の中で、待たせてもらえ。会議が終わったら迎えに行く。」
義勇は、産屋敷邸の中へと入って行った。
中庭の桜は、綺麗に満開の花をつけていた。
私はここのお庭が大好きだった…鯉を眺めながらまだ無一郎くんの継子だった頃は、無一郎くんが会議が終わるのをここで待っていた…。