第70章 練習の終わり〜冨岡義勇 不死川実弥
無一郎くんは私の隣に腰を下ろすと、ふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。
「ただいま、ゆき。…なんだか、少し雰囲気が変わった?」
その言葉に鼓動が早くなる。義勇さんに奪われた唇が、まだ熱を持って腫れているのではないかと、恐怖が背中を駆け抜けた。
「そ、そうかな…? きっと、無一郎くんが帰ってきてくれたのが嬉しいからだよ」
精一杯の嘘を吐く。
山賊に襲われ、男性という存在そのものが恐怖の対象になっていた私。彼はそれを深く案じ、これまで指先一つ触れるのにも、細心の注意を払ってくれていた。
けれど、無一郎が不在の間に、色々な事があった…あのおぞましい山賊の記憶がそれらで上書きされていくのを感じた。
不純で身勝手な理由で恐怖が薄れたなんて、清らかな無一郎には口が裂けても言えない。
「そっか。…よかった。君が笑ってくれるなら、急いで帰ってきた甲斐があったよ」
無一郎くんは満足そうに目を細めると、任務の疲れが出たのか、段々瞼が閉じてきた。やがて、吸い寄せられるように私の肩に頭を預けてきた。
「あっ…」
一瞬、体が強張った。けれど、伝わってきたのは優しい体温…不思議と拒絶反応は起きなかった。
そっと無一郎くんを抱き寄せ、自分の膝の上に頭を誘導した。
「…すぅ…」
膝の上で無防備な寝息を立てる無一郎くん。
その透き通るような長い髪を指先で撫でた、愛おしさが溢れて止まらなくなる。
無一郎くんは私を信じ、私の傷が癒えるのをじっと待ってくれている。世界で一番、私を大切に想ってくれている人。
ごめんなさい、無一郎くん…
撫でる手とは裏腹に、胸の奥は罪悪感でいっぱいだった。
ついさっき、この同じベッドで、私は義勇さんに組み敷かれ強引に唇を奪われていた…。
触れる唇の感触…中に入ってくる舌の動き…。
そのすべてを、私の身体ははっきりと覚えている。
彼が命懸けで鬼を斬っている間に、私は他の男の温もりに落ち、あろうことかそれを「安らぎ」だと感じ始めていた。
膝の上で眠る無一郎くんへの愛しさと、消えない裏切りの味。
「う…ん?あれ?ゆき?」
無一郎は、ゆきの膝の上にいる事に驚き飛び起きる。
「ご、ごめん、怖くなかった?大丈夫?」
後退り離れていく無一郎をゆきは引き寄せ抱きしめた。