第105章 無一郎と美月の仲〜時透無一郎
無一郎は、帰り道ずっと繋いだ手を離さなかったけれど、屋敷へ戻る道中、彼の言葉が向けられるのは美月だけだった。
繋いだ手とは裏腹に、二人の間には決して越えられない透明な壁が聳え立っている。
…無一郎くんは、まだ私が美月の簪を隠したと思っているんだ
そうでなければ、この不自然な距離感に説明がつかない。
胸を締め付ける寂しさを抱えたまま、私はただ黙って 歩を進めた。
無一郎とゆきの部屋は、一枚の障子で仕切られているだけの地続きだ。
さすがに美月もついては来ず、二人きりで部屋へ辿り着いた。
繋がれたままの手をそっと解こうとした瞬間、ぐっと強い力で握り返された。
無一郎は手を離さないまま、ゆきを自分の部屋へと引き入れた。
「あの…ゆき…頬の痛みは、もうない?」
不意に投げかけられた言葉に息を呑む。
あの日美月が投げつけた簪に、刻まれた傷痕は残っているものの、痛みはすでに引いていた。
「ないよ」
「そっか…良かった」
無一郎は静かに振り返ると、ゆきを逃がさないように両肩を包み込んだ。
「あの……た、叩いてしまい、ごめん…」
そこにいたのは、さっきまで美月と親しげに話していた無一郎ではなかった。
泣き出しそうに瞳を潤ませ、必死に謝罪を口にする、まるで迷子のような小さな男の子だった。
「に、二回も君に手をあげてしまうなんて…何て事をしてしまったんだ…。」
震えながらゆきの頬に手を添えてきた。
「無一郎くん…大丈夫だから。」
すると無一郎は、納得したように優しく頬を撫でた。
「ただ…もう一度だけ聞くけど、美月が納得いってなくてさ…簪を隠した理由が知りたいみたいでさ…。」
まだ言ってる…。私が隠したと信じ込んでる…。
「無一郎くん…私が刀鍛冶の里から勝手に出て行って甘露寺さんの屋敷でお世話になり、無一郎くんと距離を置いた…。その間に、私達の心の距離は離れた。そのかわりに、もっと美月さんとの心の距離が近づいたんだね。」
「えっ?何を言っているの?」
「私は簪を、隠していない…でも信じてくれないならもういいよ…。」
ゆきは、無一郎の手を払い除け部屋に戻って行った。