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上書きしちゃった

第6章 抗えない視線


ステージのライトが落ち、最後の歓声が遠ざかっていく。

なとりが深呼吸をひとつしてマイクを置くと、スタッフに軽く礼をしながら舞台袖へと歩みを進めた。

ギターを背負ったまま、足取りは早い。

汗で額が濡れているのに、それを拭う余裕もない。

ステージ裏に戻ると、ひんやりした空気が肌に触れた。

けれど胸の内側はまだ熱を帯びている。

観客の熱気、声援、そして――

さっき放った言葉の重み。

な(見てたかな……聴いてたかな。)

控え室に向かう途中、無意識に視線を探していた。

そして、ふいに彼女がそこにいるのを見つけた。

女は壁際に立っていて、まだフェスの喧騒に浸っているように見えた。

タオルで首元を押さえ、少し俯き加減。

その横顔は、どこかぼんやりしていて、でも頬が赤く染まっている。

なとりの胸が跳ねた。

自分の歌が届いたのかもしれない。

いや、届いていてほしい。

けれど同時に、どう声をかけて良いかわからない。

1歩、2歩。

彼は気づけば彼女の正面に立っていた。

自分でも驚くくらい、緊張で喉が渇いている。

な「……あのさ。」

呼びかける声が少し掠れた。

女が驚いたように顔を上げる。

その瞬間、目が合う。

なとりは思わず視線を逸らしそうになったが、踏みとどまった。

な「聴いてくれてた?」

それだけを口にするのが精一杯だった。

彼女は小さく瞬きをしてから、ゆっくり頷く。

「……聴いてたよ。すごく……よかった。」

その言葉に、なとりの胸の奥が一気に熱くなる。

けれど同時に、余計に落ち着かなくなった。

“よかった”と言われただけで、心臓がこんなにも暴れるなんて。

な「そ、そっか……。」

無意識にギターのストラップを握り直す。

指先が汗ばんで、弦の感触を確かめるように触れてしまう。

沈黙が数秒流れた。

スタッフが行き交う喧騒の中で、2人だけの時間がぽっかり切り取られたように感じられる。

女は少し困ったように笑った。

「……“大切な人のために”って言ってたでしょ? なんか、会場もざわついてた」

なとりの肩がピクリと震えた。

やっぱり、聞いていたのだ。

彼女の瞳が、自分の言葉の意味を探るようにまっすぐ向けられる。
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