第26章 交わる現在、戻らない過去
最後に見えたのは、焦りに満ちたふたりの表情だった。
ガシャン、と音を立てて扉が閉まり密室が女と歌い手を閉じ込めた。
エレベーターがゆっくりと動き出す。
静まり返った箱の中で、彼の視線が鋭く突き刺さる。
歌「……あんなに好きって言ってくれたのに、よくそんなこと言えるね。」
低く押し殺した声に、背筋が震える。
「ちがう、私は……。」
歌「違わないだろ。俺をその気にさせて、今さら“なかったことにしたい”なんて……都合よすぎ。」
壁際に押しやられ、冷たいパネルに背中を強く押し付けられる。
逃げ場はない。
女は必死に頭を振る。
「お願い、やめて……!」
だが彼の腕は鉄のように硬く、拘束を解くことはできなかった。
彼の吐息が近づき、恐怖と混乱で胸が張り裂けそうになる。
――誰か、助けて。
心の中で叫んでも、エレベーターの中では届かない。
そのとき下降する機械音に混じって、女の耳にはまださっきの声が残っていた。
タ「おい! 開けろ!」
な「俺たちがついてるから!」
扉の向こうに、確かにふたりがいる。
その思いだけが、今の女をかろうじて支えていた。
エレベーターが重い音を立てて停止した。
ドアが開いた瞬間、女は腕をぐいと引かれ、そのまま廊下の奥へと連れていかれる。
抵抗する声も、深夜のビルにはむなしく響くだけだった。
「やめて……お願い、放して!」
必死に腕を振り解こうとするが、男の力は強い。
冷たく硬い指が食い込み、逃げ場を与えない。
歌「もう逃がさない。ここまで来て“なかったことに”なんて許さないから。」
低い声に震え上がる。
連れ込まれたのは、収録者用の控室の1つだった。
電気は消えていて彼が乱暴にスイッチを押すと、蛍光灯の白い光が空間を照らした。
狭い部屋に机とソファ。
閉ざされたドアが、逃げ道をふさぐように背後で音を立てる。
女はすぐに取っ手に手を伸ばした。
「やめ――っ!」
だがドアにかけた手をすぐに掴まれ、背中ごと壁に叩きつけられる。
硬い衝撃に肺から息が漏れた。