第26章 交わる現在、戻らない過去
女は膝の上で手を握りしめ、必死に考える。
本当に自分は恋をしているのか。
それとも、ただ憧れを恋と勘違いしているだけなのか。
――わからない。
目の前のふたりは、ずっと自分を見てきてくれた。
自分が酔って崩れる夜も、弱さを晒したときも。
歌い手に見せた自分は、1部にすぎない。
ふたりが言う“錯覚”という言葉が、胸の奥でじわじわ広がっていく。
「……わからないよ。」
気づけば声が震えていた。
涙が滲み、視界が揺れる。
「本当に好きなのか、ただの憧れなのか……自分でも、わからない……。」
なとりが立ち上がり、そっと隣に座る。
肩に手を置き、静かに言った。
な「それなら、今は答えを出さなくて良い。俺らは逃げない。」
キタニも視線を逸らしながらつぶやいた。
タ「ただし、勘違いだけはするな。お前の“好き”は誰に向いてるのか、ちゃんと見極めろ。」
女はうなずくこともできず、ただ涙を拭った。
胸の中で歌い手への思いと、ふたりへの愛情がせめぎ合い答えは出ないまま夜は更けていった。
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ラジオ収録のスタジオから出ると、夜の廊下は静まり返っていた。
大きな収録ブースの照明はすでに落とされ、スタッフの声も遠ざかっていく。
女は肩からバッグを下げ深呼吸して足を進めた。
緊張の抜けた空気の中で、ふっと胸を撫で下ろす。
――なとりとキタニを待っている。
そう思うと、自然と口元が緩んだ。
だが角を曲がりエレベーターホールに向かう途中、聞き覚えのある声が背後から掛かった。
歌「……あれ、偶然だね。」
振り返ると、別ブースで収録をしていた歌い手が立っていた。
照明に照らされた横顔は画面越しで見慣れたあの人そのもので、胸が一瞬ざわつく。
歌「こんばんは、お疲れさま。」
彼は微笑んで歩み寄ってきた。
その親しげな空気に、女は思わず1歩後ずさる。