第21章 揺らぐ理性
玄関のドアを閉めた瞬間、背筋を伝う夜風の冷たさに少しだけ正気を取り戻した。
靴を脱ぎながら
「ただいま。」
と小さく言うとリビングから灯りが漏れ、2人の気配が伝わってくる。
タ「おかえり。」
顔を上げると、キタニがソファに腰掛けたままこちらを見ていた。
その視線はどこか鋭く、しかし口調は努めて落ち着いている。
隣にはなとりが座り、手にしていたペットボトルを置いた。
な「思ったより遅かったね。」
「……ごめん、録音がちょっと長引いて。」
言い訳めいた言葉が口をつく。
だが2人の視線は、それを簡単には受け入れない色をしていた。
鞄を下ろし、リビングのテーブルに腰を下ろす。
ほっと息をつくと、ようやく帰ってきた安心感と同時に先ほどの光景が鮮やかに脳裏に蘇った。
歌い手の柔らかな笑顔。
グラス越しに重なった指。
耳元で響いた低い声。
胸の奥がじんわりと熱を帯び、頬まで火照ってくる。
思い出すだけで心臓が跳ねる。
思わず、唇から言葉がこぼれた。
「……これって、恋かな。」
一瞬、リビングの空気が凍った。
タ、な「は?」
ほぼ同時にキタニとなとりの声が重なった。
彼らの表情は見事なほどに揃っており、驚きと苛立ちと呆れが入り混じっていた。
女は、はっとして口を押さえた。
しまった、と気づいた時にはもう遅い。
タ「お前、今なんて言った?」
低い声で問い詰めるキタニの目が、鋭く射抜くように光っていた。
「いや、あの……なんでもない。忘れて。」
慌てて取り繕うが、2人の耳は確かにその言葉を捉えていた。
な「忘れられるかよ。」
なとりがため息をつきながら額に手を当てる。
な「まさかとは思うけど、あの歌い手のこと考えてんじゃないよね。」
図星を突かれ、顔の赤みがさらに濃くなる。
否定しようとするのに、言葉が詰まった。
タ「……酔ってるからだよな?」
キタニが静かに言う。
だがその声の奥には、強い苛立ちと独占欲が滲んでいた。
な「そうですよ。酔ってるだけでしょ。」
なとりも重ねるように言う。
まるで自分自身に言い聞かせるかのように。