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上書きしちゃった

第21章 揺らぐ理性


「……少しだけ。」

声が甘く滲む。

アルコールのせいだけではなかった。

彼がグラスを持つ手をそっと重ねてきた。

その距離感に、心臓が大きく跳ねる。

憧れが現実に変わっていく瞬間――

そんな錯覚に胸が熱くなる。

歌「俺さ、やっぱりかやちゃんとコラボしてよかったと思ってる。」

「……わたしも、です。」

歌「だから、もっと一緒にやりたいな。音楽のことも、それ以外も。」

耳の奥でじんわりと響く低い声。

女は視線を逸らせず、無意識に彼へ身を寄せていた。

唇が近づきそうになった、その時だった。

――着信音が、空気を切り裂いた。

女はびくりと身体を離し、慌ててスマホを掴む。

画面には“タツヤ”の文字。

一気に現実に引き戻される。

手のひらが冷たくなり、心臓が違う意味で高鳴った。

「……ごめんなさい、ちょっと出ます。」

小声でそう言い、通話ボタンを押す。

タ『どこにいんの?』

低く、抑えられた声が耳に響く。

「えっと……友達の家で、その、録音をしてて。」

タ『録音はもう終わったんじゃないの?』

痛いところを突かれ、言葉が詰まる。

その沈黙を咎めるように、彼の声が強くなる。

タ『用事がないなら、早く帰ってきて。』

短い言葉なのに、胸にずしりと響いた。

呆れと苛立ちと、心配が混じった声音。

耳元で鳴っていた甘い響きが、一瞬で冷や水に変わる。

「……わかった。すぐ帰る。」

消え入りそうな声でそう答え、通話を切った。

顔を上げると、歌い手が苦笑いしていた。

歌「厳しいんだね、彼。……でも、ちゃんと気にかけてくれてる。」

女は曖昧に笑い、鞄を手に取った。

先ほどまでの浮ついた熱は、残酷なほどに霧散していた。

足取りがふらつくのは酔いのせいだけではない。

「今日は……本当にありがとうございました。録音も、乾杯も。」

歌「こちらこそ。……またね。」

彼の声は優しいのに、どこか名残惜しさが滲んでいた。

だが女は背を向け、玄関へ向かう。

扉を閉めた瞬間、夜風が頬を冷やした。

酔いが少しだけ引き、心に残るのは甘さよりも後ろめたさ。

早く帰らなければ――

そう思いながら、女は夜の街へ足を踏み出した。
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