第21章 揺らぐ理性
これまでの経験から“軽率に異性の家に行くべきではない”という理性が働く。
ましてや最近はストーカー被害のこともあり、用心深くなっているはずだった。
それでも彼の名前を見た瞬間に高鳴った鼓動、メッセージに記された“一緒に作品を作りたい”という直球の願いは憧れと好奇心を強く刺激していた。
通知音が再び鳴る。
歌【もし来てくれたら、機材も全部揃ってるし、すぐにミックスもできるよ。君の声をちゃんと生かしたいんだ】
――君の声を生かしたい。
その言葉が、決定打になった。
彼にとって自分は“憧れの対象”ではなく、“一緒に歌を作るパートナー”として必要とされている。
そう思うと、胸が熱くなった。
女はしばしソファに沈み込み、スマホを見つめたまま迷う。
キタニやなとりに相談すれば、きっと2人とも顔をしかめて“絶対にやめろ”と止めるだろう。
でも、それではこのチャンスを逃してしまう。
2度と巡ってこないかもしれない。
震える指でキーボードを叩く。
【わかりました。お邪魔します】
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で“やってしまった”という小さなざわめきが広がった。
けれど、もう引き返せない。
翌日。
女は収録用のノートPCと愛用のヘッドホンをバッグに詰めて、電車に揺られていた。
窓の外を流れる景色が、いつもより速く感じる。
駅のアナウンスすら耳に入らない。
頭の中は“彼の家で歌う”という状況に占められ、落ち着かない高揚感と緊張で胸がいっぱいになっていた。
電車を降り、指定された住所に向かう。
住宅街を抜け、少し歩くと洒落たマンションが見えてきた。
インターホンを押すと、ドア越しに彼の声がした。
歌「来てくれてありがとう。さ、どうぞ。」
ドアが開いた瞬間、ほのかに香る柔らかなアロマの匂いと壁際に並ぶ機材の存在感に圧倒された。
モニタースピーカー、マイク、シンセ、吸音材――
すべてがプロ仕様で揃えられている。