第16章 揺れる境界線
マ「そ、そうだったんですか……でも……。」
バ「何もしてないよ。ただ彼女がちょっと、具合悪そうに見えたから支えてただけ。大袈裟に見えたかもな。」
軽く肩をすくめ、バンドマンは彼女の手を離した。
だがキタニの目には、さっきまでの光景が鮮烈に焼き付いて離れない。
唇を重ねられ、彼女の頬が赤く染まっていたこと。
息が乱れ、瞳が揺れていたこと。
――それが嫌がっているのか、受け入れてしまっていたのか判断できない。
その曖昧さが、さらに心を抉った。
バ「……もう行くよ。出番も終わったしな。」
バンドマンは何事もなかったかのように立ち上がり、鍵を戻す仕草をしてみせた。
そしてキタニの横を通り過ぎる瞬間、ほんの僅かに口角を上げ挑発するような視線を投げる。
胸の奥で怒りが爆ぜた。
だが同時に、理性が必死に自分を抑え込む。
ここで手を出せば全てが台無しになる。
それが分かっているからこそ、握りしめた拳が震えた。
バンドマンは廊下に出ると何食わぬ顔でスタッフに軽く手を振り、ゆったりと去っていった。
残されたのは呆然とするマネージャーとソファに座り込んだ彼女、そして嫉妬に苛まれるキタニ。
タ「……大丈夫なのか?」
喉が焼け付くように乾きながらも、絞り出すように彼は問いかける。
彼女は唇を押さえ、顔を伏せたまま小さく頷いた。
その姿に、安堵と同時にどうしようもない疑念が生まれる。
――本当に、大丈夫なのか?
――嫌がっていたのか、それとも……。