第16章 揺れる境界線
背中を向けることができず、ただ立ち尽くし扉の向こうからかすかに漏れる声に耳を澄ませ続けた。
やがて通り過ぎるスタッフの足音が遠のくと、また中の物音が微かに響いた。
心臓の音と重なり合い、理性をかき乱していく。
――その声が、どうか自分の考えすぎであってほしい。
そう願いながらも耳に届くのは、確かに“いつもと違う彼女”の声だった。
扉の前で立ち尽くすキタニの耳に、慌ただしい足音が近づいてきた。
マ「すみません! カギ、なくなってて……!」
息を切らせて駆けてきたのは彼女のマネージャーだった。
小柄な体に大量の書類を抱えたまま、額には汗が浮かんでいる。
タ「え、カギが?」
キタニが問い返すと、マネージャーは青ざめた顔で頷いた。
マ「さっきまで楽屋の机に置いてあったはずなのに、突然なくなって……。探してたら、ここに掛かってるの見つけて……!」
震える指でドアノブを操作すると、カチャリと鍵が外れる音がした。
キタニの胸が跳ねる。
直後、扉が開かれた。
目に飛び込んできた光景に、息を呑んだ。
薄暗い楽屋のソファに押し倒されるようにして、彼女がバンドマンに唇を奪われていた。
彼の大きな手が彼女の顎を掴み、もう片方は腰を引き寄せている。
逃れようとする動きが見えたのかどうか、分からない。
ただ、2人の距離は痛々しいほど近かった。
マ「……っ!」
マネージャーが絶句し、手に持っていた書類を床にばら撒く。
キタニの視界は赤く染まり、鼓動が耳を突き破るほどに高鳴る。
彼女が誰かに触れられる姿を、しかも無理やりに見せつけられるなど――
喉の奥が焼けつき、全身に嫉妬が駆け巡った。
マ「な、なにしてるんですか!?」
マネージャーが震える声で叫ぶ。
その声に、ようやく2人が動いた。
彼女は驚いたように目を見開き、バンドマンは唇を離してゆっくりと振り返る。
まるで何事もなかったかのように落ち着き払った表情で。
バ「……あぁ、これか?」
手にしていた鍵を軽く掲げて見せ、口元に薄い笑みを浮かべる。
バ「廊下に落ちてたから、拾っただけだよ。届けようと思ってさ。」
その声色には一片の動揺もなく、むしろ余裕すら漂っていた。
マ「なっ……。」
マネージャーは困惑し、床に散らばった書類を拾いながら狼狽える。