第16章 揺れる境界線
嫌な想像が次々に頭をよぎる。
彼女のいつもの笑顔や、ほんの少し前まで一緒に話していた姿と今聞こえるかすれた声がどうしても結びつかない。
タ「……なあ、開けてくれよ。心配なんだ。」
必死に呼びかけるが、返事はすぐには来ない。
代わりに、微かに何かが動くような音が聞こえた。
布が擦れる音。
息を殺すような沈黙。
耳を澄ませば、やがて聞き慣れた彼女の声が再び響いた。
「……だい、じょぶ……だから……。」
けれど、その言葉の後に、ほんの僅かに混じる震え。
声色の奥に潜む熱。
それはまるで、ただ“大丈夫”と言い聞かせているだけのように聞こえた。
キタニは喉の奥をぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。
――誰かと一緒にいるのか?
思考がそこに至ると同時に、鼓動が速まる。
胸の中でざわめく感情を押さえきれない。
信じたい気持ちと、疑念がせめぎ合う。
拳を握りしめ、再びドアを叩いた。
タ「……開けろよ。」
強い口調になってしまう。
だが、返事はまたも遅い。
返ってきたのは、わずかに甘さを含んだ、いつもとは違う声だった。
「……ほんとに、大丈夫……だから……。」
息を呑む。
喉の奥が焼けるように熱い。
胸のざわつきが、疑問から確信めいた感情に変わりそうになる。
だが、それを自分で認めるのが怖くて必死に考えを押しとどめる。
――疲れているだけかもしれない。
緊張で声が変わっているだけかもしれない。
そう言い聞かせながらも、耳はわずかな物音を拾って離さない。
中で確かに、誰かの気配がする。
衣擦れ、息遣い、そして彼女のかすかな声。
不安と苛立ち、そして胸の奥で燃えるような嫉妬。
ドアを開けて確かめたい――
その衝動を必死に抑え込みながら、キタニは硬く目を閉じた。
タ「……わかった。けど、何かあったらすぐ呼べよ。」
低く言い残し、彼は1歩だけ扉から離れる。
だが、足は動かない。