第14章 簪【宇髄編 第1話】
夕暮れが街を柔らかに染めていた。
薬湯の匂いから解き放たれ、町の風を胸いっぱいに吸い込む。少し冷たく、でも自由の香りがした。
宇髄に伴われて歩くその道は、ただの石畳なのに、知らないほど眩しく感じられた。
手にはさっき買ってもらった小さな桐箱。中には簪が収まっている。
「……わざわざ、こんなものを。」
知令が呟くと、宇髄は軽く肩を竦めた。
「俺様は派手で華やかで粋な男だからな。くすんだ顔で下ばっかり向いて歩かれるのは性に合わねぇ。」
「……っ」
「似合ってるもんを身に付けろ。それが死んだ親のためだろうが。」
知令は一瞬、足を止めた。胸の奥がずしりと響く。
「親……」
その言葉で喉が詰まる。
宇髄は振り返らず、少し先で立ち止まった。夕焼けがその背中を長く伸ばしている。
「亡くしたもんを嘆くのは、粋じゃねぇ。だが、忘れるのもまた野暮だ。なら、どうするか分かるか?」
知令は首を振る。
「背負って前に進む。それだけだ。お前の親も、きっとそれを望んでる。」
声はいつもより低かった。飾らない、宇髄の素の響き。
知令の目から、気づけば涙が零れていた。必死に拭うが、止まらない。
「……私……弱いです。」
震える声で吐き出す。
宇髄は振り返り、にやりと笑った。
「弱い?当たり前だろうが。俺様だって昔は弱ぇガキだった。弱さを知ってる奴が強くなれるんだよ。」
その手が伸びてきて、知令の頭に軽く触れる。大きくて、温かい掌だった。
「簪は飾りじゃねぇ。今日を生き延びた証だ。折れるな、知令。」
桐箱を抱きしめながら、知令は小さく頷いた。
夕空の赤と簪の光が重なり、胸の奥にようやく微かな灯りが宿った気がした。